2011年12月13日

イランに出張する夢

  
 イランかどこか、西アジアに出張する夢を見た。 
 夢は着陸前の飛行機の機内から始まった。窓の外、眼下は海。金色の混じる赤いペイズリー模様のような朝焼けの海面が、ぬめりながらきらめいていた。 

■港 

 次のシーンは午前中の港。色とりどりの貨物コンテナが雲のない青空の下でじっとしている。あくびをするようなスピードで、クレーンが動いてコンテナの配置を変える。解かれる前のルーブックキューブがそこかしこに置いてあるような色の散らばりようだ。 

 地面は灰色のアスファルトではなく、明るい茶色。コンテナ群の反対側に視線をやると、地面と同じ色の倉庫が並んでいる。赤煉瓦倉庫のようなシャレた建物ではなくて、地面を90度垂直にしたような壁面。シャッターがあるとかろうじてわかるのは、つまようじで引っ掻いたように見える横シマの線が集まっている場所があるから。でも、そのシャッター、開くのかどうか、疑わしい。 

 町の方角に向かって歩く。わたしはときどき写真を撮るが、撮影機材はiPod touhch。一眼レフは撮っている姿が目立つのと、撮られる人々を刺激してしまうから、利用できなかった。ぶらぶらと歩くヒマな散歩人を装いながら、取材をしていく。iPod touchなら「音楽を聴く機械だ」でごまかせるから、これなら使える。なにより、わたしはバッグを持たず、物品はすべて肌身に着けて移動している。 

■ビル 

 町の中を歩く。ひときわ背の高いビルがあったのでそこへ近づく。外壁はまたも明るい茶色。そばへ行ってみると、木星の表面の模様を貼付けたような大理石の壁だった。光を吸収していた港の建物と違い、このビルは太陽光を反射していて、内側から発光しているようにも思えた。 

 通りから中へつづく短いのぼり階段をつたって入ると、中二階のバルコニーに出た。バルコニーから下をのぞくと、なじみのある日本のコンビニの看板や、コダックのロゴのついたDPEショップなどが見えた。バルコニーに沿って歩くと、日本のマンガの専門店があったので、覗いてみる事にする。 

■マンガ店のインド人店長 

 店の中に、見知った顔があった。店のロゴが入った濃紺のエプロンをしているインド人、彼のことは、どこかで見た事があるぞ。そうだ、以前、彼が日本に留学していたときに知ったんだ。確証はないけれど、きっと彼だ。と思ったが、わたしは友人を訪ねにきたのではないし、あんまり声高に話すのもはばかれたので、しずかに店に入って、店内を観察する。 

 もちろん、iPod touchで撮影することも忘れない。わずかにしてしまうシャッター音を揉み消すために、スピーカーを指で抑えながらシャッターを押す。これを右手だけで行う。フォーカスや画角、そういったものはあまり気にしない。デジタルズームは画質が下がるだけなので利用せず、アップで撮りたければ、被写体に接近あるのみ。 

 しかしここでは動画撮影を行った。この店に入ったところから撮り始め、店内を巡回してみる。見上げると、天井に近い壁には日本の漫画のポスターがずらっと並んでいる。 

 例のインド人がこちらに気づいたようで、ちらちらとこちらを見ている。わたしは視界の端で視線を受け止めるが、目は会わせない。そもそも東アジア人の少ない場所なので、単に外国人だと思ってマークしているのかもしれないが。 

 店は20畳くらいありそうなスペースに、胸の高さまでの本棚が並んでいる。漫画本は日本語タイトルのままだったり、絵柄を縮小して余白に現地語タイトルを書いているものなどさまざまだ。(その文字がアラビア語なのかペルシャ語なのか、わたしには区別がつかない) 

 どのような漫画が人気なのか、インタビューを試みたかったが、後日に回すことにする。まずは下調べと思って店のようすを自分の目で十分に観察したうえで、店を出た。 

■地震 

 ビル内のバルコニーに出た。柱にもたれて、とりあえず撮った写真をチェックする。やましいことはしていなが、“取材班御一行様” というような出で立ちでもないので市民にまぎれて隠密取材をしている感じはしている。 

 その時、足下がぐらつきだした。とっさに後ずさり、両手を柱について、頭上を見上げる。天井までは数メートルの高さがあって、幸い、落下物の危険はなさそうだ。 

 バルコニーの下がざわついた。周囲に気をつけつつ、首を伸ばして覗き込むと、蛍光色の赤や緑の帽子を被った男の一団が、正方形に整列しているのが見えた。彼らの前には何やら受け付けブースのようなものがある。看板にはTVで見るような衣装をつけた女性の等身大パネル。アイドル歌手のサイン会か何かに、“親衛隊”的なファンが集合して並んでいるのか。 

 ファンたちは地震によって多少の乱れを起こした物の、すぐに沈静化して整然とした列に戻った。わたしはその様子を写真に納めようとするが、 iPod touch の撮影機能がうまく起動せず、少し苛立ちながらもiPod自体を再起動する。この待ち時間の間にシャッターチャンスが去ってしまうのではと思うと気が気でない。 

 幸い、被写体予定の人々にはそれほど変化はなかった。ほっと胸をなで下ろすと、また柱のそばへ戻った。 

■夜 

 ビルを出ると、すっかり日暮れになっていた。日没は早い、そう感じながら見渡すと、目抜き通りの先、水平な視線のかなたは濃いオレンジ色の帯が横たわっているが、視線の角度を10度も上げれば墨色混じりの濃紺の空。 

 わたしは今夜の宿泊先を探す事にした。ここで少し夢の記憶は曖昧になるのだけれど、わたしは電話ボックスに掲示されていたホテルガイドのチラシを参考に、適当に安くて近そうなホテルを選んだように思う。 

 電話に出たのは中国語なまりっぽい、尻上がりのイントネーションの英語を話すスタッフだったが、英語力はわたしの方が低いので予約を取るだけで苦労した。なにより、自分の氏名のスペルを伝えるがやっかいだったが、とりあえず予約は取れたようだ。 

 しかし問題は、ホテル名の読みが分からないということ。案内チラシはペルシャ語で名前が書いてある。写真には北京語のような看板が写っている。ネオンが濁っていて文字の判別はやりずらい。わたしはとりあえずその北京語の文字をわかる範囲で控えておいた。アラビア文字は筆順がわからないので、写真を撮っておく。 

■元留学生 

 電話ボックスを出たところからまた少し記憶が曖昧になるが、わたしが残照のかすかに残る公園でサンドイッチをほおばっていると、わたしの実家にホームステイをしていたことがある元留学生の女性と偶然にもばったり出会う。聞くと、自宅がすぐ近くらしい。(もちろんこれはこの夢のなかでの話で、実際にイランからの女性留学生にわたしが実家で会った事はない) 

 家につくと居間に案内された。しかし彼女は日本語がカタコト。わたしは英語がカタコト、ペルシャ語は定型の挨拶だけ。この後は予約を取ったホテルへ行くつもりだと告げると、当然のように、どこのホテルだと訊かれる。実は読み方が分からないんだと言って、案内チラシを撮ったものを見せると、彼女は「ああ」とつぶやいてPCに向かってインターネット検索をはじめた。 

 ホテルの名前は「サモ・ハン・キン・ポー」らしい。ランクはこのあたりでは中の下、外国人バックパッカーなどが利用するいわゆる安宿の一種だそうだ。朝食はつくがメニューは乏しい。イギリスのB&Bの食べ放題ロールパンのようなものはない。形はナンに似て平べったいパンが篭にどさっと入った状態で適当に置いてあるか、日によってお粥の大鍋がどんと朝食コーナーに放置されているものを適当にお椀にすくって食べるらしい。栄養バランスは考えられていないが、食後用のコーヒーはある。紅茶はない。 

■留学生の姉 

 ホテルの場所と移動ルートについてレクチャーを受けていると、背の高い女性が居間に入ってきた。姉だと紹介された。お姉さんが何を言ったのか、正確なセリフは忘れてしまったが、かなり流暢な日本語で話す。留学生本人よりもはるかに上手だが、「……なわけですから」を挟みながらどんどん会話を続ける。話しが途切れないのだ。これは微笑ましく聞いていた。きっとこの人は何語でしゃべってもこんな風に話すのだろう。筆跡のつながった文字のように。 

 覚えているのは「なんでそんなホテルを取ったんですか、もっといいホテルなんていくらでもあるのに」というようなお叱りをうけたことと、「ドバイとイランの日本企業で働いていた」という日本語環境にいるという話し。 

 夢はこのあたりで醒めた。 

ビュッフェ・クランポンのシール

なんとなくTwitterにupしたら、なんだか好評だったのでこちらにもupしておく……(あとで自分で探しやすいように) 


シールの横幅は12cm。 
貼ってあるのはMoleskin(モレスキン)のラージ。