2008年8月18日

休養は大切だ。手の動きと頭脳の動きは別だ。『吾輩は猫である』にも、皮肉たっぷりにこうある。というか、これは単なる皮肉だ。
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休養は万物の旻天から要求して然るべき権利である。此世に生息すべき義務を有している者は、生息の義務を果す為に休養を得ねばならぬ。もし神ありて汝は働く為に生まれたり寝る為に生まれたるに非ずと云わば吾輩は之に答えて云はん、吾輩は仰せの如く働く為に生まれたり故に働く為に休養を乞ふと。主人の如く器械に不平を吹き込んだ迄の木強漢ですら、時々は日曜以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩如き者は仮令猫と雖も主人以上に休養を要するは勿論の事である。只先刻多々良君が吾輩を目にして休養以外に何等の能もない贅物の如くに罵つたのは少々気掛りである。兎角物象にのみ使役せらる?俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外に渉らんのは厄介である。何でも端折つて、汗でも出さないと働いていない様に考えてゐる。達磨と云ふ坊さんは足の腐る迄座禅をして澄まして居たと云ふが、仮令壁の隙から蔦が這ひ込んで大師の眼口を塞ぐ迄動かないにしろ寝て居るんでも死んで居るんでもない頭の中は常に活動して、廓然無聖などと乙な理屈を考え込んで居る。儒家にも静坐の工夫と云ふのがある相だ。是だって一室の中に閉居して安閑と躄の修行をするのではない。脳中の活力は人一倍してん熾んに燃えて居る。只外見上は至極沈静端粛の態であるから、天下の凡眼は是等の知識巨匠を以て昏睡仮死の庸人と見做して無用の長物とか穀潰しとか入らざる誹謗の声を立てるのである。
(昭和出版社版 夏目漱石作品集第一巻 122頁)
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旻天 びんてん 秋. 秋の爽やかに澄みきった大空
木強漢 ぼっきょうかん 一本気で飾り気がない男。ぶこつもの。
仮令 たとえ
渉る わたる・かかわる
躄 いざり ひざや尻を地につけたままで進むこと。膝行(しっこう)。
熾んに さかんに