2009年4月11日

年度末に思うこと

東京で働いていて、作業をしている間はもちろん熱心に業務にいそしんでいて、脇目も振らないんだけれど、ふと、外の景色(主に空や街路樹や植え込みなど)に目をやると、本当にこんなんでいいのかな、と思うことがある。
 
通勤路で見かける様々なもの。 
 
カラスとスズメとハトの違いは分かる。
でも他の都市の鳥は?
 
皇居のお堀のハクチョウと、線路の高架下のツバメは知っている。
でも他の渡り鳥のことは?
 
イチョウとサクラはひと目で分かるし、落ち葉の形にも愛着がある。
でも他の樹は?
 
ススキとタンポポの名前は知っている。
でも他の雑草は? 七草もソラで言えるかどうか。
 
鳥も、樹も、草も、そうした目につくもののことをちっとも知らない。そんな自分の存在に、午前6時の通勤時(あるいは退勤時だったか)に気づく。
 
一日の大半を、PCの画面か、紙を見て過ごす。
 
絵も見ない。
通勤で下車駅に国立近代美術館があるけれど、竹橋を渡ったことはない。
画集はすべて、二束三文で古書店に持ち込んだ。
 
音楽も聴かない。
CDは手元にない。iPodを買う予定もなし。
来日演奏家のスケジュールも知らない。
 
本は少しは読むけれど、小説は少なめ。
詩はもっと少ない。
 
仕事で大量の文章を書くし、メールや郵便物も多く作る。
でも……
 
「お世話になっております……
「おつかれさまです……
たいていはこの2句のどちらかではじまり、
「何卒宜しくお願い致します……
で終わる。
 
路上で、肩を耳に引っ付けるようにして、薄っぺらい携帯電話で話をしながらウンコ座りで必死にメモをとるビジネスマンの姿は、今じゃ普通。
 
通勤で、バッグを持っていない人を見かけることはあまりない。
B4とか、A3くらいの大きいサイズが多いように思う。
何をそんなに、持ち運ぶものがあるのだろう? と考え込んでしまう。
 
しかし私も、全財産(あるいはアイデンティティ)を背負って歩いているオタクなわけで、「『持たない』っていう美学」を両肩からタスキ掛けに下げているに過ぎない。
 
故・城山三郎の日記が出版されていたのでを少し立ち読みしたときに、『どうせ、あちら側には手ぶらでいく』というフレーズを見た。
 
二十代のわたしには、「どうせ」の諦観を完全に理解することはまだできないが、「あちら側には手ぶらでいく」には同感だ。火葬場の印象については以前書いた。
(2007年10月6日「火葬場の印象」)
あの、「何もなさ」感が、わたしの感じる「どうせ」だ。

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「死ぬ」って言葉は、動詞です。動詞は動きを示すわけですけど、死体は動きませんよ。死体になるまでは、死んでいないわけです。それなら「死ぬ」って、どの時点の話ですか。脳死の議論のときに、「もはや死に向かって不可逆的に進行するしかない状態」なんていう定義がありましたけど、それなら脳死の定義じゃなくて、人生の定義ですよ。(養老孟司『運のつき』)
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だから、「どう生きるか」でしょ、と。
人は去る。しかし作品は残る。
JobやWorkはすぐに忘れられる。Operaは残る。
とはいえ、そんなに肩肘を張って、鼻息を荒くしたって、何も作れやしない。
(鼻息といえば、水木しげるの漫画の人物を連想してしまう)
 
まあ、で、書きながら、このモヤモヤしているものは何だろう、と思っていたら、ひとつわかった。
わたしに必要なのは、休息だって、ことかなあ、と。
 

マルロー

マルローは、何世紀も続く日本独特のアイデンティティの形と精神性に関心を持った

1931年に初めて日本を訪れて以来、マルローがなにより知りたかったのは、日本が完全な孤立主義だったにもかかわらず、なぜ壮大な過去を築きえたかということだ。政治の変遷や、日本独特の社会制度、機構ができた背景はそれほど重要ではない。そうしたものはつねに進化し、方向性が変わるからだ。マルローから見て最も重要なことは、(好奇心に乏しい西洋人にはほとんんど理解できない)日本独特の思考スタイル、(自尊心の強すぎる西洋人から見ればほとんど意味をなさない)日本の文化や歴史の壮大さ、豊かさ、そして(時間的にも精神的にもゆとりのない西洋人にはわかりづらい)何世紀も変わらずに続いている日本独特のアイデンティティの形と強い精神性だった。

『アンドレ・マルローの日本』P72


アメリカは剛毛で、日本人は和毛です。日本人は真似するが征服されない

アメリカが私どもを改宗させることはないでしょう。だが連中はそこにいる。現実には私どもは一度も征服されていません。ただの一度も。私どもはよく連中の真似をします。じつによく真似ています。それもずっと以前から。そのことで私どもは攻められています。今では産業組織がいくつかあり、百万長者が何人か出てきた。連中のよりも有力な新聞がある。発行部数はなんと六百万部です。テレビだって連中のよりも有力だ。ひとつだけ、絶対に大切なことがある。私どもは一度も……ね……一度も魂を失わなかったし、これからも失うことはありません。連中の強力な力にはなんの根拠もない。勝者であることはいい。大切なことです。
(中略)
アメリカは剛毛で、私どもは和毛です。お稲荷さんの狐のように。世の中は愛撫なくして生きられない。(中略)アメリカ人は、人生と言えば男と女の人生だと思っている。(中略)私ども日本人は、人間とお狐さまと藤の花のあいだに絶対的な違いがないことをずっと前から知っています。
 
マルロー『反回想録』
間投詞「ね」は「ねぇ、そうでしょう」の意味だろう。マルローは面白がって、そのまま採録している。
『アンドレ・マルローの日本』p75


マルローの疑問:日本の絵画はヨーロッパ人に本当に理解されたのか?「芸術における誤解とは何か」

マルローは浮世絵と、浮世絵がフランスやヨーロッパの画家にもたらした影響の重要性を認める一方で、日本の絵画が本当に理解されているかどうか、自分自身正しく理解しているかどうかに疑問を抱く。(中略)「日本の偉大な作品」に対する自分の賞賛の念はおそらく「誤解」に基づくものだろうと言っている。「フランスの画家は浮世絵以外の日本の芸術をよく知らない」。その逆も言え、フランス印象派に対する日本人の賞賛の念は「誤解に基づいている」かもしれない。だが、「芸術における誤解とはいったいなにか」(中略)「大切なのは知識を広げることではなく、一致点や豊かな相違点を把握することだ。その極端な例は、日本の版画が西洋絵画に及ぼした、一見不合理な影響だろう」(中略)日本は「魅力的な版画にすべてを頼っている国ではない」とマルローは一九六〇年の日仏会館竣工式の演説で言っている。「真の日本、それは十三世紀の日本の偉大な画家であり、藤原隆信であり、またあなたがたの(古い)音楽であって、浮世絵ではない」
 
『アンドレ・マルローの日本』p95

――大切なのは知識を広げることではなく、一致点や豊かな相違点を把握すること。――真の日本、それは十三世紀の日本の偉大な画家であり、藤原隆信であり、また古い音楽であって、浮世絵ではない

知性だけでは<感性の国>日本に近づくことはできない

「アメリカは昔も今もキリスト教国で、これからもそうありつづけるだろう」と加藤周一は言う。「日本と異なり、アメリカは正義という観念をこれからもずっと大切にするだろう。つまり善と悪、正義と不正だ。日本は美しいものと心地よいもの、醜いものと不快なものといった観念にこだわり、普遍的な正義の観念については、本質的には永久に理解できないままだろう。というのも日本は個人主義の国ではなく、個別主義の国だから。感覚的なものは人によってすべて異なる。普遍的な概念を把握し、理解するには知性に訴えなければならない。だが、微妙な感覚をつかみとるには洗練された感性が必要だ。知性だけでは<感性の国>日本に近づくことはできない。では、感覚的なものと普遍的なものとの出会いはどこで起こるか。アメリカではない。アメリカ人は普遍的なもので頭がいっぱいだから。おそらく日本でもないだろう。日本人は感覚的な快楽を重視しすぎる。むしろヨーロッパで起こるかもしれない。ヨーロッパの人々は感受性の鋭さを持ちつつ、普遍的なものに対して懐疑的でいられるから。その象徴がマルローだ。彼はこの出会いそのものだ。
 
『アンドレ・マルローの日本』p234

――アメリカ人は普遍的なもので頭がいっぱいだ。日本人は感覚的な快楽を重視しすぎる。ヨーロッパの人々は感受性の鋭さを持ちつつ、普遍的なものに対して懐疑的でいられる。その象徴がマルロー――

西洋が権力の証としてつねに追求してきたものは不滅性である。西洋は「知恵を必要としない。(中略)心の静けさではなく、不死を追い求めている」。それを手に入れるためなら手段は選ばない。戦争、暴力、栄光、勝利につぐ勝利。その結果はというと、虚栄、傲慢、権力志向、論争、紛争、無秩序、無政府である。西洋では個人が評価される。人は平気で情熱をさらけだす。生前は死の観念に怯えている。反対に、アジアの人間は生前、自分が死ぬ運命であることを知って(わかって)いる。彼らは死を恐れない。死はその本質において終わりではないからだ。アジアの人間は自分の個性が周囲にとってほとんんど無価値なことを知っている。人はなによりまず共同体の一員であり、共同体は石や草と同じように自然、世界、宇宙に属する。人はたくさんある鎖の環のひとつにすぎないのだ。<坊さん>*はキリスト教と個人の尊重に裏打ちされた西洋的な個人主義を批判し、日本的な「集団順応主義」を擁護する。
 
(* マルローの知人の日本人歴史学者。<坊さん>はマルローが彼につけたあだ名)

『アンドレ・マルローの日本』p187

――西洋人は死の観念に怯えているが、アジア人は死を恐れない。自分が死ぬ運命であることを知っているから。死はその本質において終わりではないとアジア人は考えている