2007年7月29日

ペルシャ湾岸紀行 TBSビデオ
砂漠とらくだの国

 

  
2005年10月30日

 

(ビデオ発売年不明 94年頃?)

 
インド洋 ダウ船 三角帆の帆船
3000キロにおよぶ海洋文化圏
シンドバットの時代から伝わっている
 
ドバイ
ペルシャ湾最大の自由貿易港
インド、アフリカかから集まったダウ船があつまっている。
 
パキスタンやイランから野菜
インドからたまねぎ
ソマリアからヤギ
 
8年続いたイラン・イラク戦争後、ドバイは繁栄している
午後8時でも、港町は活気に満ちている。
ドバイは外国からの出稼ぎ労働者で満ちている。
インド、パキスタン、バングラディッシュ、フィリピンなどから
 
ゴールド・スーク 金市場
かつてドバイは金の密貿易で栄えた
外国人出稼ぎ労働者は金を買ってかえる
 
アラブ首長国連邦 1971年
人口162万人 そのうち8割は外国人
国土、日本の4分の1
所得平均は世界第8位
 
砂漠に四輪駆動車で出て、疾走するとストレス解消になる
砂丘の頂でエンジンを切ると砂のこすれる音が砂丘に響く
「砂が鳴く」という
 
砂漠にも多少の花が咲く。ザハル(花)
 
 
アブダビ
石油がみつかるまでは
ナツメヤシや粘土でできた家が立ち並ぶ漁村にすぎなかった
1960年代 石油採掘の開発が始まると一変
高級車を乗り回し、海水は蒸留して惜し気もなく使う
かつての砂漠の民は冷房の効いたオフィスで仕事している
 
昔はシンプルな生活だった
砂漠のなかでラクダを飼うくらしだった
今ではすっかり変わってしまった
 
 
辺境の漁村 アルジール
ここには暮らしの原型が残されている
飲料水はタンクを積んだ車から買う
買うのも売るのもインド人
U.A.E.では額に汗をして働くのはインド人ばかり
 
石油採掘が始まる前のかつてのアラビア人
海では真珠をとり、ナツメヤシを食べていた
砂漠ではラクダを飼って暮らしていた
木と泥の家で暮らした
 
日本の養殖真珠の登場で真珠とりの歴史は終わった
真珠とりで生計が立たなくなった男たちはクウェートに出稼ぎに行った
 
チームワークで真珠を収穫する
今では十分な年金のもと、政府が建てた老人ホームで暮らしている
 
昔の男は強かった
海に潜って漁をするのだから
今の若者は車を乗り回し、大学まで学費無料で行けるのだから
 
U.A.Eはわずか半世紀で世界有数の裕福な国家となった
 
 
砂漠でラクダとともに暮らす人々
アラブ人ではなく、バングラディッシュやイランから来た貧しい人々
砂漠でも雨は降る
 
 
ラクダレース
U.A.Eでもっとも人気のあるスポーツ
1周10キロ
7〜12歳までの外国生まれの少年が騎手
王族・豪族が観戦に訪れる
豊かさ故に、乗る側から見る側に変わった
賭博ではない(イスラムの法律によって禁止
速いラクダを持つことはステータス
少年たちの給料は月2万円程度
そのほとんどが国に送金する
 
並走するバスにオーナーたちがのり、
騎手の子供に「ムチをいれろ」と無線で指示
少年たちはレースで勝てば賞金がでる
オーナーは高く王族たちに売ろうとする
 
オーナーは裕福な知識階級
少年騎手や飼育係を雇う
 
飼育係や少年は外国人
出稼ぎ労働者
家へ送金する
 
 
ラス アル ハイマ港
18世紀 ペルシャ湾を荒し回った海賊の本拠地
現在では漁船もなくモーターボートばかり
もっともイランに近い港
イランから2時間程度の距離
時速80キロは加速できる強力な日本製の船外機をつける
イランで禁止されている商品を海路で運送し商売している
 
イランの偵察艇の目をかいくぐって密貿易をする
イランからの持ち出しが禁じられているペルシャ絨毯
イランの偵察艇は機銃で密貿易船を撃つので見つかると命の危険にかかわる
 
イランに持ち込むのは
アメリカのタバコ、日本のビデオテープや精密機器など
イランに持ち込みが禁止されている
 
密貿易に従事しているのは若者ばかり
イラン・イラク戦争に従軍したものばかり
イランでは音楽をかけて踊りを踊ることが禁止されている
U.A.E側の港でなら踊れる
 
なぜ、この仕事をするのか
 ——生きるため
戦争で死んだ弟をどう思うか
 ——戦争なんてバカげてる。みじめな死に方だよ
 
 
ドバイ
中近東とアジアが混じりあっている国際都市
石油によるオイルマネーが育てた不思議な街
かつてインド洋をこえて運ばれた