聴いたことも、考え、そしてまとめないかぎり、シェンツァ(サイエンス)とはならない(マキアヴェッリ) 思考、知識は第一次的である。その同種を集め、整理し、相互に関連づけると第二次的な思考、情報が生まれる。これをさらに同種のものの間で昇華させると第三次的となる(外山滋比古) などなど考えつつ、読書メモ。
2007年12月31日
トーマスはいつもそう思っていたに違いない。
『二人の紅茶王』P104
トーマスはトーマス・リプトン。リプトン紅茶の創業者にして、大衆紅茶をイギリスのみならず、世界に定着させた世紀の商人。
両親はアイルランドの大飢饉から逃れ、イングランドのグラスゴーに移住した難民。小さな雑貨商を営み、その経営哲学は、一人息子のトーマスへ引き継がれた。
ほぼ無一文に近い状態からのスタート。丁稚奉公をしながらビジネスの才を延ばした天才的商人、トーマス・リプトン。
常にイギリス上流階級に対し、皮肉的な視線を送りながらも、童心を忘れず、生産者を搾取もしなかった。
王室の経済的な難題の解決にも陰で助力。その功績は王室にも認められ、最終的には准男爵の爵位まで得るに至る。
2007年12月26日
演繹、帰納:真偽を論証
アブダクション:良否を検証
deduction(演繹)
前提となる主張から、別の主張を導く
induction(帰納)
観察されてデータ(蓄積された情報)を基に、真である普遍法則が導き出される。
→帰納ははたして有効な科学的推論か?
- データは完全無欠ではない
- 背景仮定から完全に中立かどうかは不明
- データの集積の延長線上に見えて来る普遍法則とは?
abduction(仮説的推論)
「結果から原因へとさかのぼっていく推理」
「裁量の説明を発見する」推論方式
アブダクションの命名者はチャールズ・S・パース 19世紀の哲学者で記号論の創始者。
アブダクションの特徴
- 真偽は問はない
- 観察されたデータに基づいて「より良い説明」を与えてくれる推論を相互比較する
- 対立理論との検証
系統樹思考の世界 -p65
2007年12月24日
2007年12月23日
ダーウィンが「種の起原」で示した「進化」の同義語 -p17
進化的思考 Evolutionary thinking
進化的にものを考えることで、それまで説明のつかなかったことが一幅の絵のように整然とした論になる。 -p18
系統樹思考
--何か相互に由来関係があるのではないか、という問いかけ -p24
多様性を「系譜」という観点で理解しようとすること -p37
科学的であるかどうかは、個々の科学研究分野の特性や制約の中で、いかにして仮説や主張を経験的にテストできるかどうかに主眼がおかれるべき。 -p45
普遍法則を求める科学が「タイプ」について論議してきたのに対し、歴史や進化を論じる科学は「トークン」に関する考察をしていると言ってもかまわない -p75
分類は絶対的なものではなく、ある採用された分類基準(類似性の尺度)にしたがってグループ分けをしているに過ぎない。 -p
系統樹を描くということは、多様な対象物に関する鳥瞰図を与えると同時に(略)相互比較のための足場を組み立て、そのような多様性が生じた因果に関する推類を可能にし、さらには対象物に関するさまざまな地検を体系化し、整理するという役割も担っている。 -p164
「系統樹の世界」
2007年12月2日
2007年11月25日
キーワードは「国民皆兵制」
- 一家に一台の自動小銃
- 一村にひとつの射撃訓練場
- 一年に2週間の兵役
歴史的背景
ロマンシュ語族の独立戦争
- 連邦制
- フランス語、ドイツ語、イタリア語による4つの公用語
スイス傭兵の時代
- 兵士の育成と派遣のビジネス
ナポレオンによる(支配) 征服
とばっちり敗戦
ナポレオンの百日天下では連合側につく
オーストリアから見れば「自分の味方でなければ、敵と組んでいるに違いない」と思われる立場
中立であることのリスク
中立にはリスクがともなう。
中立であることは、周囲のすべてが敵であることと、同義。
いじめを無視して放置することもいじめであるという理論に近い。
国際連合との付き合い方
- 軍事行動への不参加
- 不参加
中立を守ることは、複数の正義の両方と戦わなければならない
- アルプスの要塞に籠城してナチスとの戦闘を回避したことは、連合国側からの領空侵犯と誤爆を受けることを招いた
2007年11月20日
フランスが経済力では日本の後塵を拝しながら、国際政治では日本と比較にならないほどの発言力を保持している理由は3つある。
- 国連安全保障理事会5カ国の一角であること
- 核兵器保有国であること
- 首脳外交を軸とした外交力
フランス大統領は国防と外交を専管事項とし、内政を担当する首相と明確に棲み分けている。
このため大統領は内政に煩わされることなく、積極的な首脳外交を展開し、「フランスの考えと存在を、国際社会により広く知らしめる」ことを可能にしているのである。
ヨーロッパの宮廷外交で外交術を磨いてきた伝統もあるが、何かあるすぐさま内政に足をとられる日本の首相と比べ、外交力で差が出るのは明らかだ。
「エリゼ宮の食卓」p221
2007年11月19日
2007年11月15日
目標に向かってすべてのものを統合する。
その方向がはっきりしていないと、まとめをすることができない。
収斂的思考は思考の半分に過ぎない。しかも受動的半分である。
創造的半分は拡散的思考、つまり誤解を恐れず、タンジェントの方向に脱出しようとするエネルギーによって生み出される思考である。
これまでにこれが充分認識されないできたのが、われわれの社会の不幸であった。
本当の独創、創造ということが、“変人”でないとできにくいというのは悲しい。
自分の新しい解釈を創り出して行くのが、拡散的読書である。当然、筆者の意図とも衝突するであろうが、そんなことにはひるまない。
収斂派からは、誤読、誤読だと非難される。しかし、読みにおいて拡散的作用は表現の生命を不朽にする絶対条件であることも忘れてはなるまい。
古典は拡散的読みによって形成されるからである。筆者の意図がそのままそっくり認められて古典になった作品、文章はひとつも存在しないことはすでにのべたとおりである。
「思考の整理学」P208
2007年11月14日
苦笑するしかないが、これが現実なのだろう。
——宗教を敵にまわしてはならない。また、神と関係することすべては、敵にまわさないように心がけるべきである。なぜなら、この対象たるや、馬鹿者どもの頭に、あまりにも協力な影響力をもっているからである。——
ごもっとも!
——権力と名誉は、誰もが求めるものである。なぜなら、普通は華やかな面のみが眼につくからで、権力や名誉がもたらす苦労や不快な面はかくれているからだ。しかし、もしも両面とも陽の下に明らかになるとすれば、権力や名誉を求める理由は、ひとつを残せば失われてしまうであろう。そのひとつというのは敬意を払われれば払われるだけ、人は、神に近い存在となったように思えることである。
男に生まれて、誰が神に似ることを望まない者がいようか。——
『覚え書』(リコルディ) グイッチャルディーニが家族のために書き残した
「わが友マキアヴェッリ」P527
マキアヴェッリの研究者たちが、この時代のマキアヴェッリを不幸と断じるのに、私はどうしても賛同することができない。たしかに、彼は不幸ではあった。だが、それは、不幸であるとtおもに、幸福であり、幸福であるとともに不幸である、というたぐいの不幸ではなかったか、と私には思えてならない。だからこそ、創作が可能であったのだ、と。創り出すと言う行為は、幸福であるだけでもできないものだが、不幸であるからといってできるというものでもないからである。しかし、この種の幸福は、実を追求することが本来の任務である学者たちには、なかなか分かってもらえないものかもしれない。
「わが友マキアヴェッリ」P460
往復書簡が価値をもつには、いくつかの条件が満たされる必要がある。
- 書き手二人ともが、手紙を介した対話であろうと思うこと。それがために、書かれる内容は、送られてきた相手の手紙の内容を受けたものでなくてはならない。双方とも勝手に思うことを書きあっているだけでは、往復書簡にはなり得ないのである。
- 書き手は双方とも、率直に想いをはき出す性質の持主である必要がある。社会的な地位に関係なく、人間対人間のぶつかりあいが、対話なのだから。
- 共通の関心ごとをもつということである。
- 双方ともが、自らの意とすることを格別の苦労もせずに伝えることのできる、文章力の持主であることだろう。手紙一本化久野に気が重くなるようでは、往復書簡のパートナーにはなれない。マキアヴェッリはいうまでもないが、フランチェスコ・ヴェットーリのほうも、後年歴史物などものしたくらいだから、なかなかの文章力の持主であった。
- この人とならば話せる、と思う者動詞であることだろう。時間的精神的余裕の有無は、さほどの問題ではあに。偶然にしても、この時期のマキアヴェッリもヴェットーリも相当に暇な身分だったが、忙しさでは人一倍であったのはずのユリウス・カエサルこそ、往復書簡のはじめ手であったとされている。カエサルの場合は口述筆記をさせていたということだが、要は、手紙を通じて対話をしてみたいと思うか思わないかの問題でしかない。
「わが友マキアヴェッリ」P428
2007年11月13日
創造の本質、人間の欲求である「見たい、知りたい、分かりたい」が爆発した精神運動。
創造への結晶。考えるだけでは不十分、表現することで初めて理解となる。
ルネサンスに至るまでの土壌
- 聖フランチェスコ
- 商人の子、大学の出ではない
- 日常語であったイタリア語でキリスト教の教えを説いた。
- ラテン語は民衆とは乖離。イエスの教えを民衆が自らの頭で考える、新しい聖書の解釈。
- 選択の自由。非難、排撃をしない。
- 修道院に寄進すれば救済があるとしたことは、商人に受け入れられた。
- 貧しさを尊ぶ思想
- フリードリヒ二世
- 神聖ローマ帝国皇帝。
- 皇帝だが高等教育を受けておらず、キリスト教社会では異分子的存在。
- 大学を出ていないが、ギリシア語、ラテン語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、アラビア語を読み書き話せた。
- 数学、幾何学、天文学に強い関心をもっていた。
フランチェスコは、
- 聖書と向き合う
- 虚心とともに読解
- 自然と向き合う
- 内なる声を聴こうとした
フリードリヒ二世は
- 好奇心おもむくままに読書した
- アラブ人たちを臣下におき、科学の教授を受け、実地教育を受けた
宗教に対する3つの態度
フリードリヒ二世の時代から800年が過ぎてもなお、現代のヨーロッパでは……
- ateo
- 神の存在を信じない。無神論者、無信仰者。
- credente
- 信仰者。
- 特にpraticante は教義に忠実、ミサには必ず通うような人々。
- laico
- 神の存在を否定はしないが、宗教の関与すべき分野とそうでない分野を明確に区別する人々。
★ルネサンス期のヨーロッパにおいては、マキアヴェッリも、ガリレオ・ガリレイも、フリードリヒ二世も laico であった。
いわば、ルネサンスは laico たちの精神活動であった。
フィレンツェ人気質
我が身まで傷付けかねないほどの強烈な批判精神。
芸術家の工房は一階にあり、同時に店でもあったので、自由に出入りできた。
↓
誰でも自由に批評を言っては立ち去っていった。
購入する気のある人も、ない人も。
↓
芸術家はこの手の忠告に貪欲。
批判者と言い争った後で、こっそり作品を補正していたのだろう。
↓
当時のフィレンツェは絵画、彫刻に限らず、美を追求するならば何でも引き受けていた。絵も、彫刻も、金工も。
★フィレンツェの工房では、見習いはあらゆる作業に従事した。ジャンルを専任するのは、出世後の事だった。
出版の自由
言論の自由が認められていたヴェネツィアで、出版のルネサンスがおこった。
★出版によって、知識は協会と修道院から市井へと広がった
グーテンベルク
- 1455年 「42行聖書」の印刷
アルド・マヌッツィオ アルド出版社を創立
- 1490年 ヴェネツィアに渡る
- 1494年 「ギリシア詩集」刊行
- 1498年 「アリストテレス全集」刊行
- ギリシア、古代ローマの「古典」のほか、エラスムス等「現代」作品も刊行した
1495-97年の間、全ヨーロッパで1821点の書物が刊行された。
その内、447点がヴェネツィアで刊行された。(2位のパリは181点)
■ アルドが発明したもの
- イタリック体(書体)
- 読みやすく、ページ内の文字数を多くすることができた
- 文庫
- 紙を8回折るとこから、「オッターヴォ」(八つ折り)と呼ばれた
- 安価さと小ささで、一般と学生にヒット。普及の原動力となった
芸術の振興は教養のある経済人による援助が不可欠。
フィレンツェでは、コシモ・デ・メディチ、ピエロ、ロレンツォの三代がそれにあたる。
■メセナの語源
古代ローマの皇帝ティベリウスの補佐であったマエケナスが詩人のヴェルギリウスやホラティウスを援助したことに由来。
アカデミア・プラトニカの終焉
一流学者たちの解散。
その理由は、観念論は別の観念で向かってこられると、意外と弱いもの。
ヨーロッパ屈指の学術機関だったのに、ロレンツォの死後、2年で解散。
哲学と科学
誰かがごく一般的な疑問をもった時に発生する「好奇心」。これが科学と哲学の種。
ギリシア文明はわずか200年間のあいだに華やかな知性の爆発があった。
- 芸術、科学、文学、哲学
- すさまじい量の創作が起こった
- ヨーロッパ文明の基礎となった。
★すべての事柄に「なぜ」を突き付ける
そして、自分なりの回答を常に探す(仮説、想定)、そして見つける事
創作者に不可欠な要素
- 謙虚さ
- 誰にも負けないという傲慢不遜
一見矛盾するこの要素が成立するのが創作者・クリエイターの条件
常人であれば、その矛盾が精神のハレーションを起こしてしまう。精神の不安定化を招く。
創作は「なぜ」に対する、自分なりの回答でもある。
表現は伝達の手段であると同時に、頭の中の考えを明解にする効果もある。
ローマ市の略記号
「SPQR」 Senatus Populus Que Romanus 「元老院ならびにローマ市民」
現代ローマ人は皮肉で Sono porci questi romani 「ローマ市民は豚である」と表現さえする。
どこの国よりも国際的、コスモポリタン「ローマ」
反動宗教改革と異端審問の時代
異端審問官の「実績」をみよ。
動機のただしさを確信している者の行う悪こそ凄まじい。
16世紀半ば、異端審問官の手の及ばない知は、ヴェネツィアかアムステルダムのみだった。
ヴェネツィアでは
- 異端審問が開かれなかったわけではない。設置は認められていた
- ただし、共和国側の人間(俗人)の出席が義務と定められた
- 会則には、委員がひとりでも退席したら、流会になると決めた
大航海時代
大航海時代における重要人物
<氏名/出身地/出資者>
- バルトロメオ・ディアス ■ポルトガル ■ポルトガル王
- クリストフォロ・コロンブス ■ジェノヴァ ■スペイン女王
- ヴァスコ・ダ・ガマ ■ポルトガル ■ポルトガル王
- アメリゴ・ヴェスプッチ ■フィレンツェ ■スペイン王
- フェルディナンド・マゼラン ■ポルトガル ■スペイン王
- ジョヴァンニ・ダ・ヴェランツァーノ ■フィレンツェ ■フランス王
★大航海時代の航海探検は航海者が企画を出資者に売り込んで実現したもの。スポンサーにももくろみがある。
スペインやポルトガル人は進出先を領有するため、ヴェネツィア等は交易のため。
インカ帝国の滅亡は、スペイン人による掠奪によるものだから、もし、イタリア人が大航海時代をリードしていたならば、インカは滅亡しなかったかもしれない。
大航海時代の隠れた主役
パオロ・トスカネッリ
コロンブスに、インドへの近道は、アフリカに沿っての南下ではなく、大西洋を西へと横断する方法であると言った人物。
人生のほとんどをフィレンツェで過ごしたが、地理学、天文学、宇宙学の学者。
自然現象の観測と数学、幾何学によって、緯度と経度の概念を考えた。
ギリシア語とラテン語に非違で、古代の文献を自分の考えに取り入れた。
また、ハレーよりも前に、ハレー彗星を4度も観測した記録がある。
権威と権力
- ヴェネツィアは、このバランスを巧みに取った。
- 国家の代表者である元首(ドージェ)、その権威は国家の最高
- しかし権力は元老院200票の中の1票でしかない。十人委員会では17票の中の1票
- 権力が権威のもとに集まらないように工夫されていた
権威と権力が比例するのが帝政や君主性である
- ヴェネツィアには「大金持ち(大富豪)」は現れなかったが「富豪」は大勢いた。
- 貧富の差はいつもあったが、「層」として固定されておらず、敗者復活戦のシステムがあった。
- 遺族年金のシステムも存在していた。
表現とは。天才の作品を理解するには
表現とは、自己満足ではない。
他者に伝えたいという強烈な想いが内包されているからこそ、力強い作品に結晶する。
芸術の解説書を読む必要などない。
作品を前にし、自分が「天才」になったつもりで「虚心平気」に彼らと向き合えば良い。
天才とは、こちらも天才になった気にならなければ、肉薄できない存在なのだ。
ダ・ヴィンチが書いたものには、「キミ」という呼びかけが使われていることが多い。
となれば、その「キミ」になって読まなければ、どうしてダ・ヴィンチを理解できようか。
塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」
2007年11月12日
2007年11月11日
2007年11月10日
2007年11月4日
知の行為者としての倫理、「反証可能性」
考察を導く軸
- 主体と他者との問題
- 認識から実践へのプロセス
- 開かれたコミュニケーションと創造性
学問における普遍性
- 誰にとってもそうである原理
- そしてその論証
「反証可能性」 falsifiability
- どのような知の言説も、再検討、反論反駁、更新できる可能性
- 反証可能性が常に開かれていなければならない
普遍性とはあらかじめ存在はしない
到達し、獲得することが目指すべき地平
知の行為
普遍性の方へ自らの言語を開いていく仕方や、作法を身に付ける事が肝要
知識をどれだけ仕入れても、普遍性の方へ開かれた表現の手続きに結びついていなkれば知の行為とはならない
知の行為の主体となる訓練が必要
知の行為の主体
- 普遍性の基準に見合った主体
- 形式的、技術的に仮設され、借定され、それ故に学習される主体
学問的な言説、科学的な言語の習得によって、この主体に自身を置く方法を身に付ける
文科系の学問は、純粋な形式言語ではなく、自然言語の中に根付いている
普遍的な形式化が究極的に理論的か
——否、
「不完全性定理」ゲーデル を参照せよ
学問の行為は「ひと」と「ひと」との間の相互関係である
固有の文化的、歴史的な特異性を背負った不透明なもの
固有の主体性から出発し、自らの行為を普遍性の方へと開いていくプロセスに自覚的でなければならない
- 自然科学を含む人間の文化的営みの在り方に根本的な問いを投げかける
- 新しいプロセスを創造的に生み出す
- 普遍性へ向かうプロセスは、本質的に想像的な多様性を許容する
「知の行為」とは
知りたいという好奇心を越え、一般化可能な問題が立ち現れた時、「人間とは何か」に収斂していく中で問題意識となり、知の行為がスタートする
問題構成の構造
a. 一般的な問い
b. 研究対象
c. 関連対象
d. 方法論
学問の行為による記述は、一定の知的な共同体にとっての真理に過ぎない
決してそれが無前提的な唯一の真理ではない
自明か否か、
正当か否か、
一定の文化の体系に因るものに過ぎず、絶対的な普遍性など主張できない
真理はそれを見なす主体との相関関係で捉える。主体の数だけ真理がある
文化や時代を超越して他者と会い、真理について対話する
interest
(利益、権利、関心、所有権)
- それぞれの主体が持っている固有の力、社会を動かす力
- 自身の interest に動機付けられた自己を他者の方へ開く事他者の interest との調停へ向かう事が重要
対話を導く原理
- 公正
- 創造性
2007年9月18日
——37%
チームや組織の目標達成に熱意をもっている人
——5人に1人
自分の目下の課題と、チームや組織の目標との間に明確な見通しを持てている人
——5人に1人
週末に振り返ってみて、自分が成し遂げた仕事に満足できる人
——5人に1人
主要な目標を達成する上で、組織が自分の能力をフルに発揮させてくれていると感じている人
——15%
強い信頼関係で結ばれた職場環境だと感じている人
——15%
異なる意見を尊重し、新しいよりよいアイデアを生むような開かれたコミュニケーションを組織が推賞していると感じている人
——17%
社員は組織において結果の責任を引き受けていると感じている人
——10%
組織を完全に信頼している人
——20%
組織内のほかのグループや部署との間に高い信頼性と高度な協力関係があると感じている人
——13%
「ハリスの世論調査」(xQサーベイによる)
サッカーでたとえれば、どちらが相手のゴールかわかっているのは11人中4人
勝負に関心があるのは2人
自分のポジションと役割がわかっているのは2人
11人中9人は、敵よりも自分のチームメイトに対抗意識を持っていることになる。
『第8の習慣』より
2007年8月11日
2007年8月2日
「戦争好きの狂人では、戦時のリーダーにならない」
「戦場であっても、安全と思えるなら、何でも楽しみは行うべき。そして軍人としての職務をこなす。部下の心身の保護とともに」
「戦時のリーダーにはすぐれたパフォーマンスが求められる。偽善で構わない。死と向き合っている状況では、偽は偽ではなくなることが多いのである」
「戦争がヒューマンファクターに左右されることは、古代から現代まで変わらない。力量、性格、能力、経験、士気、古代と現代で異なるのは兵器と装備。平然と部下を犠牲にする将には兵は続かない。ミサイルを正確に落とすのはテクノロジーだが、どこに落とすかを決めるのは人間」
「シビリアン、ミリタリー、どちらの人間でも戦争は失敗する。ミリタリー的思考のシビリアンならば良いか。戦争は血を流す政治であり、政治は流血のない戦争」
『人々のかたち』
塩野七海
20070221
2007年8月1日
2007年7月31日
メトロポリタン美術館
1872年創立
コーディネーター ナンシーリー
NHK教育 製作 のビデオ
テーマ 各部門の名品のトップ3を紹介
世界経済の中心地 ニューヨーク マンハッタン
南北に連なるセントラルパーク
その一角 5番街に面する
200万点以上の所蔵品
1万7千人以上の来場者
正面玄関を入ると吹き抜けのロビー
このロビーを中心に配置される展示室
美の百科事典とあだ名される
展示をくまなく見て回るには10日はかかる
17の展示室は1F、2F、B1に別れている
*2F ヨーロッパ絵画部門
主に19世紀以前の絵画部門
ロビーを抜けたところにある階段をのぼる
12世紀〜19世紀まで2300点
エベレット フェイ 主任学芸員
ヨーロッパで初めて油絵の具を使った絵画を展示
油絵の具の登場は技術革新だった
ヤン ファン エイク
キリストの磔刑
折り畳み式の祭壇画
ボッティチェッリ
聖ヒエロンイムスの聖体拝領
ベラスケス
ファン・デ・パレーハ
吹き抜けに面した2Fバルコニー
*アジア部門
日本 中国 カンボジアなどを網羅
およそ6万点
ジェームス ワット 主任学芸員
祭祀器一式
中国紀元前20〜10世紀初頭
祭壇がセットになった
出土したとき5つの器が祭壇に乗ったまま出てきた
古代中国の儀式を想像させる
歴史的価値もさることながら、美術的価値も高い
インド
仏像立像
尾形光琳
八橋図 江戸時代 屏風
*古代オリエント部門
メインロビー左
ジョアン アルーツ 学芸員
アッシリアの偉大な王の遺産
アッシリア・レリーフの部屋
人獣一体の守護神が悪霊が宮殿に入らないように守っていた
人頭有翼の獅子
鳥頭有翼神
BC883〜859頃
鳥形のデーモン、猪、有翼龍の飾りのあるシャフト付き斧
アフガニスタン BC30世紀〜BC20世紀
水差を捧げる雄牛
イラン
BC3100〜2900頃
*写真部門
印象派部門につながる廊下がスペース
メストラル
エンジェル オブ ザ パッション
1850年頃
ウォーカー エバンス
アラバマの農夫
エドワード スタイケン
フラット アイアン
*素描版画部門
ミケランジェロ
リビアの巫女のための習作
赤いチョーク 男性モデルでデッサンした
完成品は女性で描いてある
人体スケッチ
ゴヤ
巨人
銅版画
1850年
ゴッホ
療養所の廊下
素描に色を付けた珍しい作品
*ヨーロッパ絵画部門19世紀
印象派が充実
学芸員
ゲアリー ティンテーロ
ゴッホ
糸杉のある麦畑
古典的なテーマだがゴッホならではの鮮烈のあ筆使いがわかる
ドガ
ダンス教室
モネ
サンタドレスの庭園
*イスラム部門 改装中
ダニエル ウォーカー学芸員
シーリーの絨毯
イラン
イランで作られた写本などで見られる模様
鳥や花、猫、鹿などの模様が見られる
火鉢
エジプト
13世紀
スレイマン壮麗王の紋章
トルコ
*レイマン・パビリオン
セントラルパークに突き出た8角形の建物
観葉植物とベンチが並ぶ
ガラス屋根から日光が注ぐ
レイマンコレクション
富豪レイマン氏の所蔵品
リビングを再現
ディタ アモリー学芸員
ルノワール
ピアノに向かう2人の少女
ジョバンニ ディ パオロ
天地創造と楽園追放
アングル
ブロイ公妃
メトロポリタンの正面玄関を経て1F展示
*ギリシアローマ部門
3万5千点
展示2500点
ジョアン マーティンズ
ギリシアのつぼは実際に生活に使われた
ガク形クラテル
トロイア戦争の場面を描いたつぼ
ゼウスが息子サルペドンのもとに眠りと死の神を送る場面
クーロス(若者の象) 石像
ギリシア
ボスコレアーレの別荘の寝室
BC30〜40
*アフリカ オセアニア 南北アメリカ部門
11000点所蔵
アリサ ラガマ学芸員
遺骨箱守護者の頭部像
彫刻品
20世紀初頭のアバンギャルドの画家たちに影響を与えた
ペンダントの仮面
ナイジェリア
女性像のある椅子
コンゴ
*ヨーロッパ彫刻・装飾部門
15世紀以降の彫刻、家具、タペストリー
6万点
イーアン ワードロッパー学芸員
アントニオ カノーバ
メドゥーサの頭を持つペルセウス
イタリア
大理石をつややかに見せる方法をカノーバは知っていた
カーリントン・パークの部屋
イギリス
グッビオ宮殿の書斎
イタリア
ルネサンス
物が入っているように見える「だまし絵 寄木細工」
*アメリカンウィング部門
2Fまで吹き抜けの広い室内庭園
アメリカの作家、もしくはアメリカを題材
モリス メクサー学芸員
フランク ロイド ライト
リトルハウスの居間
ライトは日本通でありアンドンなど
ジョージ ビンガム
ミズーリ川を下る毛皮商人
絵画
ステンドグラス
ルイス C ティファニー
秋の風景
*楽器部門
5000点を所蔵
ケネス ムアー学芸員
1675年イタリア製
ハープシコード
立奏用のハープシコード
ギリシア神話のレリーフと彫刻
クリストフォリ
ピアノ
世界最古のピアノ
琵琶
中国
15世紀
象牙細工で飾られている
*武器・甲冑部門
15000点所蔵
スチュワート ピアー学芸員
エリザベス女王に使えたカンバランド伯爵の甲冑
交換部品付き甲冑
1580年〜80年
美術的価値も高い
16世紀最新のモードを取り入れている
日本の鎧兜
14世紀
足利尊氏のためのもの
サミュエル コルト
拳銃
西部開拓が進む19世紀の拳銃
ジョージ ワシントンの肖像が金で入っている
ハドソン川沿いに建つ分館 クロイスターズ
*中世部門
フランス・スペインの古い修道院を移築
4つの回廊
ピーター バーネット主任学芸員
ピレネー山中のクサの回廊
回廊:噴水と庭、屋根付きの廊下で構成
クロイスターは回廊の意味
一角獣のタペストリー
1500年頃
ロベール カンパン
受胎告知
三連祭壇画
*この絵のために1部屋がある
屋上
*モダンアート部門
10000点以上のコレクション
ウィリアム リーバーマン
ピカソ
ガートルード スタインの肖像
ピカソ
アルルカン
1901年
マチス
金蓮花のあるダンス
地下
*服飾部門
年に数回特別展が開かれる
常設展示を持たない
主任学芸員 ハロルド コーダ
宮中服
イギリス
金糸のレースが縫い付けられた
C F ワース
イブニングドレス
20世紀
イブサンンローラン
デイドレス
1965年
*エジプト部門
36000点所蔵
エジプトの神殿
デンドゥールの神殿
BC15世紀
アスワンハイダム建設によって水没が確定したとき移築
供物を運ぶ女性像
BC1900年頃
王妃頭部断片
BC1300年頃
音楽関連書旧蔵
MUSICAL INSTRUMENTS OF THE WORLD
Ruth Midgley 編
Sterling Publishing Co., Inc./U.S.
1997年(原版は1976年、英Paddington Press Ltd.)
図録と解説
MUSICAL INSTRUMENTS A Worldwide Survey of Traditional Music-Making
Lucie Rault
Thomas & Hudson /UK
写真集
CATALOGUE OF MUSIC INSTRUMENTS IN THE VICTORIA AND ALBERT MUSDEUM
Schott & Baines
1998年
V&A博物館カタログ
鍵盤楽器はハワード・スコット、非鍵盤楽器はアンソニー・ベインズ解説
新しい楽器額体系
日本吹奏楽学会 編
日本吹奏楽学会
1996年
楽器図録と基礎知識
楽器編成応用概論
Henri Bsser 著/池内友次郎 訳
全音楽譜出版社
1983年
管弦楽法
楽器図説
菅原明朗 著
音楽之友社
1998年(13刷)初版1950年「楽器図鑑」
図録と解説
WHO'S WHO in MUSIC and Musicians' International Doirectory
BURKE'S PEERAGE LIMITED
1969年(第5版)初版1935年
国際音楽家名鑑
Bassoon Reed Making
Mark Popkin and Loren Glickman
The Instrumentalist Company
1987年
ファゴットのリード製作法
The Paris Conserbatoire and the Contest solos for Bassoon
Kristine Klopfenstein Fletcher
INDIANA UNIVERSITY PRESS
1988年
パリ音楽院のファゴットソロ作品目録
音楽辞典 楽語
音楽之友社
昭和50年(27刷)初版昭和29年
辞典
音樂辞典
小泉洽
東京堂出版
昭和49年(29刷)初版昭和23年
辞典
MUSICAL INSTRUMENTS DESIGN
BART HOPKIN
SEE SHARP PRESS
1996年
物理の面から見た楽器の解説
楽器の仲間(知識の泉 シリーズ 4)
浅井香織 監修
同朋舎出版
1994年
児童向け楽器解説
Making Musical INSTRUMENTS by Hand
Jay Havighurst
Quarry Books
1998年
児童向け手作り楽器
マンモスの骨で作った楽器 旧石器人の生活と芸術
S.N.ビビコフ
築地書館
1985年
研究
横笛の魅力
福原百之助
新芸術社
平成2年
人間国宝の談話
音のアルカディア 角笛の鳴り響くところ
山西龍郎
ありな書房
1996年
論文集
グレゴリオ聖歌セミオロジー 古楽譜記号解読解釈
E.カルディーヌ 著/水嶋良雄 訳
音楽之友社
1997年(6刷)初版1979年
論文集
Essential Dictionary of Orchestration
Dave Black/ Tom Gerou
Alfred Publishing Co., Inc.
1998年
オーケストラ楽器解説ハンドブック
音楽の物理学 音楽をする人たちのための入門書
アレクサンダー・ウッド 著/石井信生 訳
音楽之友社
1993年(13刷)初版1976
物理の面から見た楽器の解説
音楽の手帖 ピアノとピアニスト
青土社
1980年
論文・寄稿集
世界の少年合唱をたずねて
長谷川新一
東京音楽社
昭和47年
読み物
近代音樂回想録
カルヴオコレシ/大田黒元雄 訳
第一書房
昭和15年(初版昭和13年)
読み物
浜松市楽器博物館 所蔵楽器図録 I~IV
浜松市楽器博物館
1995年版
全4冊
山西龍郎著「音のアルカディア~角笛の鳴り響くところ~」より
音の社会史
社会の<音>象学へ(p77)
楽器制作者:中世以来の伝統的な職人(Handwerker)の形態を保持。
他の産業:19世紀の産業革命以来大変貌。
すなわち手作業とは
1 板金を切り、合わせ目を蝋付けして管を作りトノコを塗って溶かした鉛を流し込み、 腕の力で丸く曲げ、木槌で叩いて広げる、といった作業。
2 ベルトコンベアも細切れの作業工程表もない。
3 足下に転がる部品にも気に留めず、つなぎを来た少人数の職人が一心不乱に一つの物 と格闘する姿。
中世ドイツで楽器作りで名を馳せた街はニュルンベルク
→独自の冶金技術の開発など。
→欧州の楽器作りの中心地となった。
→中世の職人社会の理想的な程に完成されていた。
* それ以前のローマ時代にあった管楽器製作法の伝統は絶たれていた。
(直管喇叭のtuba、背負いホルンのcornu、アルプホルン型のlituus等)
*この街の職匠歌人のハンス・ザックスとそれを登場させたヴァーグナーの「ニュルンベ ルクのマイスタージンガー」を想起せよ。
*弦楽器のミッテンヴァルト、金属山地と言われるエルク山系のマルクノイキルヒェン、 クリンゲンタール、グラスリッツ、プラハ、ヴィーン等楽器匠の街はニュルンベルクに 端発しているケースが多い。
*古楽器の復元演奏の例に中世末期からバロック期の名匠の作品をモデルにしている事
も。(例=nach/afterEhe、Hans、Hainlein)中でもハース家のトランペットやホルンは銘 器と誉れ高い。
中世都市を支えた同職組合(Zunft、Innung)の中でも石工や楽器匠は手工業の職分制を最近まで保持していた。
・少年の無給で住み込みの徒弟(Lehrling)
・実質的作業担当者の職人(Gesselle)
・店、工房の主で組合に入り市民としてエーレ(公民としての栄誉)を持ち市政にも参 加している、親方(Meister)
どの一軒を取ってもこのミニマムな同心円的職分秩序が支配していた。
修行(Ausbildung)
→・3カ所以上の街でそれぞれ別の親方の下で修行。(:遍歴、Wanderung)
・一つ一つ認定を受ける。
・その後初めて自分の街の親方試験を受けられる。
・試験に通過したら、市民として権利を享受し行使できる。
↓
・しかし帰ってきた街も甘くはない。
・厳しく制限された親方の数(その中で、出来たら自分の息子をという考え)
↓
・どんなマイスターシュトゥック(マスターピース:銘器、本来は親方合格品)も、
・新参職人とあればあらゆる嫌がらせがあったと言われる。
*アレクサンダー家もセダン、ミルテンベルク、マインツと移った当座、提出したクラリ ネットをすり替えられたと社史に記するほど。
*この職人時代の苦しい修行の有様は「教養小説(Bildungsroman)」の一情景そのものと している。文学にも青春の通過儀礼風に描かれ続けてきた。
ドイツの楽器匠は特に音楽の生成そのものと深く関わっていた。
例=ライプツィヒの街とバッハの関係。
・oboe da cacciaやcorno da cacciaと呼ばれる狩猟系の新楽器。
・E.T.A.ホフマンの「ウンディーネ」等に始まるロマン派の絶え間なく揺れ動く心情と旋律の対応を可能にした、シュレージエンのブリューメルや、シュテルツェルとベルリンの工房モーリツ等によるヴァルヴの発明。(のちに溶鉱炉の風送り弁(Ventil)からの発想という話)
・ヘッケルやアレクサンダーによるヴァーグナーやR.シュトラウスの求めた音のための楽器の創出。ヴァーグナー・テューバやヘッケルフォン。
1 アレクサンダー家
アレクサンダー家とは、16世紀末「ナント(Nantes)の勅令」(1598年)前後の混乱を避けて、アルデンヌ地方からドイツ領に流れてきた新教徒ユグノーの末裔である。ヴェルとハイム、 ミルテンベルクを経て1780年大聖堂(ドーム)のある街マインツに定住。宗教の方も柔軟なルター派を経てカトリックへ移す。転居の度に店を拡大していった跡も。
・第1の隆盛期(1870年代)
ドイツが帝国統一を成し遂げた頃。その時期の軍隊の整備とそれに関連した軍楽隊の楽器調達に絡み商圏を拡大。諸連隊(レギメント)の長も多く招かれた1883年の「創業百年祭」では、deutsch(ドイツ的)と形容して帝国緒隆盛と社運を結びつけた。
*アレクサンダー家が地元の宮廷御用達楽器メーカーとして認知された時、社名の前に「ライン地方の」と修飾した。
→フォークラント地方やザクセンのメーカーに対抗する意味があったとっされ る。
→実際楽器メーカーとして自立するまでには後継者達にはヴィーンやニュルンベルク、ミュンヘンとならんでザクセンやボヘミア国境のフォークラントに修行に出かけた。(フォークラント地方、現在のチェコのマルクノイキルヘンが楽器製作の中心地なのは前述)
・マルクノイキルヘン自体、17世紀後半「反動宗教改革(ゲーゲンレフォルマティオン)」の弾圧を避けたボヘミア人(主にバイオリン工)が移住して開拓した街。平家の落人部落のような山襞深いところに街が造られたのもその為。
→ボヘミアは、ヤン・フスの改革やユダヤ人の活動もあって社会的に波乱の多い地 方
マルクノイキルヘンで木管に次いでホルンを中心とした金管の製作が始まったのは1 8世紀半ば。
イザーク・エッシェンバッハがその礎を築いた。(イザークはライプツィヒで学ぶ)
<バッハ期>
ライプツィヒや同じザクセン地方のドレスデンが楽器製作の中心地であった。当時の作品の多さからも伺い知ることが出来る。
・ホルンのストップ奏法を発見。
・ロータリー・ヴァルヴの改良。
1840年マルクノイキルヘンには、
Meister:49人。
Gesselle、Lehring:100人近く。
→つまりアレキサンダーがザクセン・フォークラントを意識するのも無理もない
*グラスリーチェ(旧ドイツ領グラスリッツ)
マルクノイキルヘンと同じ得るツ山系のライバル都市
・織物と並ぶ産業の中心は楽器製作
1840年代には 金管マイスター20人
木管マイスター10人 を擁した。
→300年の歴史を背景に ・1937年:木管でも10万本の輸出を記録。
・金管でもケーニヒグレーツ(プラハの北)のチェルヴェと 覇を競うボヘミア=オーストリア・ザクセンの雄。
→その中で、リードル(Liedle)、ピュヒナー(Püchner)、アドラー(Adler)、
メーニヒ(Mönich)、カイルヴェルト(Kailwelt)、ヒューラー(Hüller)、 シュライバー(Schleiber)、ヘッケル(Heckel、)コーレルト(Korlert) と言ったブランドがここで生まれた。
(Möeck , H. : Fünf Jahrhunderte Deutscher Musikinstrumentenbau , 1987 , s24を参照)
→アレクサンダーが1920年代、グラスリッツの代表メーカーの一つである、ボーラン ド&フックス社(Borand & Fucks)の「ライン地方総代理店」となっている。理由は同 様の前述
→しかし第2次世界大戦の結果「フェアトライブンク(ドイツ系住民追放)」数百年の遺産を残したまま ・約13人のマイスターが西独へ逃れて、 ・ヴァルトクライブルク二協同組合を組織し、伝統を保持しようとして努めた結果が、 ・一つに現在のミラフォン(Mirafone)であり、ゲレツリートのマンイル()社も別のその後身の一つ。
彼らは楽器に最近まで「グラスリッツの」と形容詞が刻印されているのはそうした理由による。(歴史性へのこだわり)
*オットー社(Otto)
マルクノイキルヘンの文字が今も打たれている。
旧東独を逃れ旧西独へ亡命。20世紀のドイツの
2007年7月29日
ペルシャ湾岸紀行 TBSビデオ
砂漠とらくだの国
2005年10月30日
(ビデオ発売年不明 94年頃?)
インド洋 ダウ船 三角帆の帆船
3000キロにおよぶ海洋文化圏
シンドバットの時代から伝わっている
ドバイ
ペルシャ湾最大の自由貿易港
インド、アフリカかから集まったダウ船があつまっている。
パキスタンやイランから野菜
インドからたまねぎ
ソマリアからヤギ
8年続いたイラン・イラク戦争後、ドバイは繁栄している
午後8時でも、港町は活気に満ちている。
ドバイは外国からの出稼ぎ労働者で満ちている。
インド、パキスタン、バングラディッシュ、フィリピンなどから
ゴールド・スーク 金市場
かつてドバイは金の密貿易で栄えた
外国人出稼ぎ労働者は金を買ってかえる
アラブ首長国連邦 1971年
人口162万人 そのうち8割は外国人
国土、日本の4分の1
所得平均は世界第8位
砂漠に四輪駆動車で出て、疾走するとストレス解消になる
砂丘の頂でエンジンを切ると砂のこすれる音が砂丘に響く
「砂が鳴く」という
砂漠にも多少の花が咲く。ザハル(花)
アブダビ
石油がみつかるまでは
ナツメヤシや粘土でできた家が立ち並ぶ漁村にすぎなかった
1960年代 石油採掘の開発が始まると一変
高級車を乗り回し、海水は蒸留して惜し気もなく使う
かつての砂漠の民は冷房の効いたオフィスで仕事している
昔はシンプルな生活だった
砂漠のなかでラクダを飼うくらしだった
今ではすっかり変わってしまった
辺境の漁村 アルジール
ここには暮らしの原型が残されている
飲料水はタンクを積んだ車から買う
買うのも売るのもインド人
U.A.E.では額に汗をして働くのはインド人ばかり
石油採掘が始まる前のかつてのアラビア人
海では真珠をとり、ナツメヤシを食べていた
砂漠ではラクダを飼って暮らしていた
木と泥の家で暮らした
日本の養殖真珠の登場で真珠とりの歴史は終わった
真珠とりで生計が立たなくなった男たちはクウェートに出稼ぎに行った
チームワークで真珠を収穫する
今では十分な年金のもと、政府が建てた老人ホームで暮らしている
昔の男は強かった
海に潜って漁をするのだから
今の若者は車を乗り回し、大学まで学費無料で行けるのだから
U.A.Eはわずか半世紀で世界有数の裕福な国家となった
砂漠でラクダとともに暮らす人々
アラブ人ではなく、バングラディッシュやイランから来た貧しい人々
砂漠でも雨は降る
ラクダレース
U.A.Eでもっとも人気のあるスポーツ
1周10キロ
7〜12歳までの外国生まれの少年が騎手
王族・豪族が観戦に訪れる
豊かさ故に、乗る側から見る側に変わった
賭博ではない(イスラムの法律によって禁止
速いラクダを持つことはステータス
少年たちの給料は月2万円程度
そのほとんどが国に送金する
並走するバスにオーナーたちがのり、
騎手の子供に「ムチをいれろ」と無線で指示
少年たちはレースで勝てば賞金がでる
オーナーは高く王族たちに売ろうとする
オーナーは裕福な知識階級
少年騎手や飼育係を雇う
飼育係や少年は外国人
出稼ぎ労働者
家へ送金する
ラス アル ハイマ港
18世紀 ペルシャ湾を荒し回った海賊の本拠地
現在では漁船もなくモーターボートばかり
もっともイランに近い港
イランから2時間程度の距離
時速80キロは加速できる強力な日本製の船外機をつける
イランで禁止されている商品を海路で運送し商売している
イランの偵察艇の目をかいくぐって密貿易をする
イランからの持ち出しが禁じられているペルシャ絨毯
イランの偵察艇は機銃で密貿易船を撃つので見つかると命の危険にかかわる
イランに持ち込むのは
アメリカのタバコ、日本のビデオテープや精密機器など
イランに持ち込みが禁止されている
密貿易に従事しているのは若者ばかり
イラン・イラク戦争に従軍したものばかり
イランでは音楽をかけて踊りを踊ることが禁止されている
U.A.E側の港でなら踊れる
なぜ、この仕事をするのか
——生きるため
戦争で死んだ弟をどう思うか
——戦争なんてバカげてる。みじめな死に方だよ
ドバイ
中近東とアジアが混じりあっている国際都市
石油によるオイルマネーが育てた不思議な街
かつてインド洋をこえて運ばれた
週4時間労働を達成するための重要な点の一つは、自分の仕事の進め方を回りに認知してもらうことである。私は受け取った電子メールに対して、以下の自動応答を返している。
これを実行すると、人生ががらっと変わり、もっと早くからやらなかったことを悔やむだろう。
電子メールを読むのは1日2回である必要はないが、ある程度溜まってから読む必要はある。
最悪の習慣は、朝一番に電子メールを読むことである。種々雑多なことで頭が乱されてしまう。朝は重要なことに集中し、昼までに一仕事終えるべきだ。
電子メールは効率を重視したコミュニケーション手段であり、そっけないものである。人間関係の維持・向上のためには電話を使うほうがよい。
ドナルド・E・クヌース教授も、電子メールを捨てた有名人の一人。
「1 週間に 4 時間しか働かない人の仕事術」 [hatena.ne.jp]
「電子メールへの対応」の項。すべての人に適用できるわけではないにせよ、示唆に富む。