2007年11月15日

整理には、焦点が必要である。
目標に向かってすべてのものを統合する。
その方向がはっきりしていないと、まとめをすることができない。
 
収斂的思考は思考の半分に過ぎない。しかも受動的半分である。
創造的半分は拡散的思考、つまり誤解を恐れず、タンジェントの方向に脱出しようとするエネルギーによって生み出される思考である。
これまでにこれが充分認識されないできたのが、われわれの社会の不幸であった。
本当の独創、創造ということが、“変人”でないとできにくいというのは悲しい。
 
自分の新しい解釈を創り出して行くのが、拡散的読書である。当然、筆者の意図とも衝突するであろうが、そんなことにはひるまない。
収斂派からは、誤読、誤読だと非難される。しかし、読みにおいて拡散的作用は表現の生命を不朽にする絶対条件であることも忘れてはなるまい。
古典は拡散的読みによって形成されるからである。筆者の意図がそのままそっくり認められて古典になった作品、文章はひとつも存在しないことはすでにのべたとおりである。

「思考の整理学」P208
長く説明しなければならないほど、考えが未整理なのである。
 
テーマはシングルセンテンスで表現されるものでなくてはならない。
 
「思考の整理学」P145
いい空気のところでないと、すぐれたアイディアを得ることは難しい。

考える場所の雰囲気が大切である。

考えごとをしていて、うまく行かないときに、くよくよしているのがいちばんよくない。
 
アイディアの芽は小さく、弱い。 へこんでいては、思想はまとまらない。

「思考の整理学」P150