2011年6月7日

ゲーム音楽を合唱する練習の夢

昨日はみょうに疲れていたので、仕事を途中にして午前0時過ぎに布団に入った。 

珍しく、視覚的な要素の少ない夢を見た。 

夢のなかで、わたしは数人の女性歌手、1人のバスかバリトンの歌手、それに1人のチェンバロと1人のリコーダー奏者と一緒に、ゲームのBGMを合唱で表現する練習をしていた。 

曲目はファイナルファンタジーIIIの「禁断の地エウレカ」。 
ファミコン版 

DS版 


女声がコーラスでメロディを「Sha-la-la-la-la-」と歌う。 
そのコーラスは、うっとりするほど官能的。 

官能と表現したのは、綺麗や技巧だけでなく、背筋がしびれるほどのツヤとテリを感じたから。 
力強くてしなやか、熱せられたガラスのように引き伸ばされるとなめらかに反応するが、その姿を空中にとどめる。 

2、3人しかいないはずが、耳元では大合唱のように響く。 
完璧なシンクロをしているのだろう、単でも多でもなく、「一体」になっている感じ。 
わたしはテノールとして女声のメロディの底部で「ha, ha, ha, ha,」というような伴奏形を歌っていた。 

最初は合唱だけの練習、バスの男性歌手が2か3コーラス目でボイスパーカッション的な演出で参加。 
ボイスパーカッションといってもラップ的な“ドラムセット”ではなく、ティンパニの潤った音とスネアドラムの高く響く乾いた音を出すようなドラミングだった。 
水平に広がっていた合唱のサウンドは、見上げるような垂直の響きを得た。 

男性歌手はドローン音的な伴奏に変わった。空間にさらなる奥行きが出た。 

次はアルペジオを鳴らす器楽が加わって、この曲は全体像を現した。 
アルペジオは細かいが、音符は綾のようにつながっているので、うるさくない。 
驟雨のようなムラのない音。大きな綿のかたまりのようなリコーダーとチェンバロの音。 


はじめは極めて小さい声で、しだいにフルボイスへ。 
なんて気持ちのいい練習なのだろうと感じた直後、目が覚めた。 
夢をみるのは明け方のことが多いのでもう朝かと思って時計を見たら2時前だった。 

2011年6月3日

鈴木秀美さんのことば

リコーダー演奏の友人からTwitter経由でご紹介いただいた、鈴木秀美さんのメッセージ記事が印象深かったので日記に引用してメモ…… 

全文はこちら。 
http://alios-style.jp/cd/app/index.cgi?CID=blog&TID=PAGE&dataID=00658 

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優れた音楽が私達に与える深い想いや感動には大きな力があり、命の糧、生きる勇気ともなるのだということを思わずにはいられませんでした。 
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音楽を聴いている間、私達はしばし現実を忘れ、悲しみや痛みから少し遠ざかることができるのです。音に耳を傾けているとき、私達の心はどこか別の場所へ運ばれているのです。それは現実逃避などではなく、そういう時間を持つことによって、また前向きにものを考え、目の前の事態に対処してゆく力も生まれてくるということです。 
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周りで数々の演奏会が「自粛」されキャンセルされ始めたとき、これはおかしい、と私は強く感じました。 
もちろん、音楽は食べ物や毛布の代わりにはなりません。しかし、人間の「生」を支えるものが何らかの意味での「精神」であるなら、それを支える力にはなるはずです。 
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音楽家は弾く以外の能のない人種ではありますが、単に「音」を売っているのではなく、大袈裟に言えば夢や憧れ、空想、考え、そして希望を売っていると思っています。夢や希望は「普通に戻るまで要らない」とは言えないもの、むしろその逆です。 
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