2008年2月16日

シリコンバレーにあって日本にないもの。それは、若い世代の創造性や書かんな行動を刺激する「オプティミズムに支えられたビジョン」である。

全く新しい事象を前にして、いくつになっても前向きにそれをおもしろがり、積極的に未来志向で考え、何か挑戦したいと思う若い世代を明るく励ます。それがシリコンバレーの「大人の流儀」たるオプティミズムである。

「ウェブ進化論」p246
 
#私の目指す大人は、世代交代をみずから奨励するような大人。それが私の目指す大人。自分の時代で自分のもの、知恵、アイデア、そうしたものを存分に出し切って創造の限りを尽くした後、それを次世代に託す。取捨選択は任せる。前の世代から引き継いだものを、次の世代へ、次の世代というのはつまり、未来の世界への遺産として残すこと。私は音楽を通じて、それを学んだ。10代の時、60歳までに世界の頂点たるプレイヤーになることが目標だった。前の世代からバトンタッチされるものを、次の世代へ受け渡す。きっと、そうして1000年にわたって、芸術は生き続けていくだろう、音楽は生きながらえていくだろう、と信じていた。やめるその日までは。でも、そういうことなんだ。前向き、明るく、期待をこめて、希望を持つ。そうした成熟した大人になりたい。

(インターネットの普及、知の高速道路によって)多くの人が次から次へとあるレベルに到達する一方、世の中のニーズのレベルがそれに比例して上がらないとすれば、せっかくの高速道路の終点まで走って得た能力が、どんどんコモディティ(日用品)化してしまう可能性もある。

一気に高速道路の終点にたどりついたあとにどういう生き方をすべきなのか。特に若い世代は、そのことについて意識的でなければならない。

「ウェブ進化論」p216
 
#インターネットを「知の高速道路」と表現するかたは多い。私は「音声ガイダンスと照準を自動で合わせてくれるオート機能付き望遠鏡」と表現したい。肉眼では知り得なかった情報、肉眼で認識できる距離まで接近しなくては手に入らなかった情報が、足労をかけずとも見られるから。地球儀を手にして、世界の広大さと、世界の有限さを同時に知った子供のように、インターネットで知ったことを、どのように蓄積し、バイアスをかけるか。あるいは醸造するのかを考える。
 

たしかにネット世界は混沌としていて危険もいっぱいだ。それは事実である。しかしそういう事実を前にして、どうすればいいのか。

忌避と思考停止は何も生み出さないことを肝に銘ずるべきなのである。

「ウェブ進化論」p207
 
#思考停止では後がないことは、塩野七生氏も繰り返し言っていた。見たくないものを見ない、ではなく、現実にどう向き合うかを梅田望夫氏は述べている。
試行錯誤の末、最近は、ブログこそが自分にとっての究極の「知的生産の道具」かも知れないと感じ始めている。

  1. 時系列にカジュアルに記載でき要領に事実上限界がないこと、
  2. カテゴリー分類とキーワード検索ができること
  3. 手ぶらで動いても(自分のPCを持ち歩かなくとも)インターネットへアクセスさえあれば情報にたどりつけること
  4. 他者とその内容をシェアするのが容易であること
  5. 他者との間で知的生産の創発的発展が期待できること

さまざまな「知的生産の道具」と長いこと格闘してきた結果、
  1. 道具はシンプルなのがいい
  2. 道具にたいしては過度に期待するのではなく、その道具の特徴を理解してこちらからうまく歩み寄り、道具と自分がお互いに短所を補いあうようにしながら一体になってしっくりとやっていけるかどうか
が重要と考えるようになった。

ブログを「知的生産の道具」として使う場合の、私の方からの「歩み寄り方」とは何か。それは、
  • 対象となる情報源がネット上のものである場合
    1. リンクを貼る
    2. 出典も転記
    3. 最も重要な部分はコピペ
    4. 簡単な意見も合わせて書けばさらにいい
  • 対象となる情報源がネット上のものでない場合
    1. 出典を転記
    2. 最も重要な部分を筆写
    3. なぜ筆写したのかもきちんと書けば、筆写部分を「引用」扱いにできる。

「ウェブ進化論」p166-7

#ご明察! 筆写理由がなければ、自分がそこに何を感じ、将来の自分に何を残そうとしたのか、見えなくなってしまう。
そうだった。私のこの転記には、これがぬけていた。大いに恥じ入る。

eベイの創業者ピエール・オミディヤーは
「Web 2.0とは何か」と尋ねられ、「道具を人々の手に行き渡らせるんだ。皆が一緒に働いたり、共有したり、恊働したりできる道具を。「人々は善だ」という信念からはじめるんだ。そしてそれえらが結びついたものも必然的に善に違いない。そう、それで世界がかわるはずだ。Web 2.0 とはそういうことなんだ」
と答えている。
「ウェブ進化論」p122
開発者向けにプログラムしやすいデータを公開するサービスを「ウェブサービス」と呼び、開発者向け機能を「API(Application Program Interface)」と呼ぶ。
「ウェブ進化論」p117
「テクノロジーの重要性は正しく理解して手を打つけれどその本質はメディア企業」というのがヤフーの在り様で、たとえばニュース編集には、優秀な人間の視点が不可欠だと考える。何につけ「人間の介在」を、重要な付加価値創出の源泉だと認識している。
「ウェブ進化論」p93
小さな組織ユニットが壁を作って競争すると非効率になるから、ありとあらゆる情報を全員で共有する。
(中略)
「すごく頭のいい優秀な連中というのは皆、自分を管理できるのだ」という身もふたもない原則に支えられたプロセス。
「ウェブ進化論」p82
電子メールとは、情報の送り手が情報の受けてを選ぶ仕組みである。
つまり情報の隠蔽を基本とする従来型組織を支援する情報システムである。
一方、情報の公開・共有を原則とする新しい仕組みの場合、あらゆる情報が公開されていても、絶対に処理しなければならない自分宛の情報以外は、読んでも読まなくてもいい。
情報の送り手ではなく受け手が、必要な情報を選んで処理していく。
(中略)
「この人間にこの情報は開示しても構わない」と誰かが判断した情報だけが開示される環境かで、個々人が仕事をしていく。だから、貴重な情報を握ってコントロールすることが組織を生き抜く原則となる。よって部門間で、情報共有を目的とする会議が増えていく。
しかしモチベーションの高いメンバーだけで構成される小さな組織っで、すべtねお情報が共有されると、ものすごいスピードで物事が進み、それが大きなパワーを生む。仕事の生産性が著しく向上する。
「ウェブ進化論」p81
グーグルの「優秀な人間が、泥仕事を厭わず、自分で手を動かす」という企業文化は、情報発電所構築においてグーグルが競争優位を維持し続ける源泉の一つである。

「ウェブ進化論」p72
革命的変化に共通するパターンとして、最初の段階ではかなりのスケールでのタービュランス(乱気流、大荒れ、混乱、社会不安)が発生するとアーサー(ブライアン・アーサー、複雑系経済学のパイオニア)は買った。そして、タービュランスに続いて、メディアが書きたてるメディア・アテンションのフェーズに移行し、そして過剰投資が起き、バブル崩壊へと突き進む。(中略)人々はそれについて語らなくなる。でも面白いことに、それから一〇年・二〇年・三〇年という長い時間をかけて、「大規模な構築ステージ」に入っていく。

「ウェブ進化論」p43

わずかな金やわずかな時間をの断片といった無に近いものを、無限大に限りなく近い対象から、ゼロに限りなく近いコストで集積できたら何が起こるのか。ここに、インターネットの可能性の本質がある。
「ウェブ進化論」p20
情報は時間が経てば古くなるが、情報から得たケーススタディは積み重ねになる。
思想は上へ上がっていくんだけど、大衆というときはどんどん下に行く。
これ以上下がれないところまできたものを日本では「現実」とか「世間」と呼ぶ。
養老猛司
 
権力はもともとコントロール装置だけど、最近はちょっとでも力を持つと、誰もが誰かをコントロールしたがる。
池田清彦
 
AERA 2005.6.13