2008年1月31日

論旨の展開をスムーズに読ませるには、ひとつの論旨で九〇〇~千文字程度が望ましい。ひとつの段落を百五、六十文字の間で生めた文章が一番読みやすい。

大隈秀夫 「文章の実習」

私は小説の文章を、そんなに重視してゐない。もっと率直に、いひたいことが通じる文章であればよろしい。それでたくさんだと考えてゐる。文章に味の出るのは、その人間に味が出ることであり、単なる文章のうまみは、いわばアクセサリーの程度である。

丹羽文雄 「小説作法」

人が上手に話しをしようと思ったならば、その場の空気に合わない談話は人に嫌われる。人が上手に話しをしようと思ったならば、その場の空気に調和したような話し方をしなければならぬ。

波多野完治 「文章心理学入門」より「レトリック」

形容詞は、読者のために使うのであって、筆者が自分のために、すなわち、自分の文章を飾るために使うべきではない、ということになる。読む人によりよく事態を分からせるために、印象を明確にするために使うのだから、この形容詞がうまく成功していれば、結果としてその文章は美しくもなり、ヴィヴィッドにもなるだろう。

入江得郎

2008年1月21日

この絵が見るのは人の背中ばかりだ。見る者に不快感を与える(ル・コルビジェ)
この絵は抽象的すぎる。画家は間違ったのだ(サルトル)
ゲルニカを評して。

私の絵を見て下さる方は、いかように解釈してくださって結構。――パブロ・ピカソ

『美の巨人たち』2008 年1月12日放送回

……後に解ることであるが、私が村にいた間、ピエェルは、所謂白化(アルベド)の作業に取り組んでいた。これは、錬金術の大作業中、黒化(ニグレド)と呼ばれる最初の過程に続く第二番目の過程である。この過程の作業を了え、更に赤化(ルベド)の過程に成功すれば、目指す賢者の石が得られるのである。因みに従来、白化と赤化との間には、黄化(キトリニタス)と呼ばれる今ひとつの過程が有るとされていたが、ピエェルはそれを認めなかった。これは、一方で伝統的な硫黄-水銀理論に固執していたのとは殊なり、経験に即し実証を尊ぶ、彼の今一方の態度の現れであった。

『日蝕』p65

2008年1月14日

されば言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、という働きをもっております。p3

思想を一定の型に入れてしまうという欠点があります。p4

言語は万能なものではなきこと、その働きは不自由であり、時には有害なものであることを、忘れてはならないのであります。p4

もっとも実用的に書くということが、即ち芸術的手腕を要するところなので、これがなかなか容易に出来る業ではないのであります、p14

実用文においても、こういう技巧があればあった方がよいのであります。

口語体の大いなる欠点は表現法の自由に釣られて長たらしくなり、放漫に陥りやすいことでありまして、p20

文章のコツ、即ち人に「分からせる」ように書く秘訣は、言葉や文字で表現できることと出出来ないことの限界を知り、その限界内にとどまることが第一 p20

口語文といえ、文章の音楽的効果と視覚的効果とを全然無視してよいはずはありません。なぜなら人に「分からせる」ためには、文字の形とか音の調子とか言うことも、あづかって力があるからであります。読者自身はあるいはそれらの関係を意識しないで読んでいるかもしれません。しかしながら、眼や耳からくる感覚的な快さが、いかに理解を助けるものであるかと言うことは、名文家は皆よく知っているのであります。p25

われわれは読者の眼と耳とに訴えるあらゆる要素を利用して、表現の不足を補って差し支えない。p26

即ち、真に「分からせるように」書くためには「記憶させるように」書くことが必要なのであります。

文章をつづる場合に、先ずその文句を実際に声に出して暗誦し、それがすらすらと言えるかどうかを試してみることが必要。p33

この読本で取り扱うのは、専門の学術的な文章ではなくて、われらが日常眼に触れるところの、一般的、実用的な文章でありますp65

文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない、だから、文法には囚われるな。全体、日本語には、西洋語にあるようなむづかしい文法と言うものはありません。p67

文法のためにおかれた煩瑣な言葉を省くことに努め、国文の持つ簡素な形式に還元するように心がけるのが、名文を書く秘訣なのであります。p67

感覚を研くにはどうすればよいのかと言うと、
 出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと が第一であります。次に
 実際に自分で作ってみること が第二であります。p86

文章の要素を

  1. 用語:分かりやすい語を選ぶこと。
  2. 調子:その文章における調子は、その人の精神の流動であり、リズム。簡潔さや流麗さ、冷静さなど。
  3. 文体:ある文章の書き方を、流れと見て、その流露感の方から論ずれば調子、流れを一つの状態と見れば、文体。
  4. 体裁:文字の視覚的要素。文章の視覚的並びに音楽的効果としてのみ取り扱う。
  5. 品格:饒舌を慎むこと、言葉使いを粗略にせぬこと、敬語や尊称を疎かにせぬこと。それにふさわしい精神を涵養することが第一。
  6. 含蓄:あまりはっきりとさせようとせぬこと、意味のつながりに間隙を置くこと。

と、こう六つに分けることにいたします。p98

『文章読本』谷崎潤一郎 初版昭和35年

2008年1月13日

二つの叙事詩(イリアス、オデュッセイア)には、神々が繁く登場する。神々の物語と言っても過言ではあるまい。
 
があえて私見を述べれば、やはり、これは人間の物語なのではあるまいか。出来事の粗筋を決定するのは、ほとんどの場合、神々の意志であり、その点では人間の介入する余地はないのだが、それが古代ギリシア人の見た神々の姿だったろう。
 
まったくの話、神々は気紛れで、なにを考え、なにを意図しているのかわからない。恵みを垂れてくれたかと思えば、突然、罰を与えたりする。なんの理由もないのに……。少なくとも人間には、なんの理由もないように思えるのに……。
 
——しかし、これだけの罰を受ける以上、なにか理由があるにちがいない——
 
人間たちは悩み、問いかけ、祈り、そして努力をする。計り知れない神の意志に翻弄されながら、どのようにして自分んお、人間としての倫理を確立するか。避けることのできない死をどう迎えるか。二つの叙事詩には、神々の気紛れにもまれながら葛藤する人間のドラマが随所に見えてきて、それゆえに、これは人間の物語だと思うことが私にはできるのである。現代の私たちも、このように神を見ようとすれば、見えてくるだろう。
 
『ホメロスを楽しむために』p283
冥府のシシュポスの巨石の罰

シシュポスは神をないがしろにしたかどで永遠の罰を受けている。

巨岩を山の頂上へ押し上げていく、いよいよ頂上と思ったとたん強い力押し返してきて、巨岩は下へ落ちていく。それをまた押し上げる。その繰り返し。
 
日本の賽の河原の伝承に似ている。
ギリシアの伝承は雄大であり、日本国の伝承は哀れである。 
 
『ホメロスを楽しむために』p215
トロイアの環

キュプリア(キプロス物語) 戦争の原因と開戦の経緯が描かれる
イリアス アキレウスとアガメムノンの確執と和解、ヘクトルの戦死が描かれる アイティオピス(エチオピア王物語) ペンテシレイア率いるアマゾン軍が、次いでエチオピア王メムノンの軍がトロイアに加勢するがアキレウスに討たれる。そしてアキレウスの死、アキレウスの武具をめぐってオデュッセウスと大アイアスが争った事などが記されている。
小イリアス (トロイア小譚)オデュセウスと大アイアすの争いで校舎が敗れて狂気に陥ることを描く。
イリオスの陥落(トロイア落城)木馬の計略、木馬を城内に搬入することに反対したラオコーンやカッサンドラの予言が描かれ、トロイアが壊滅する様子が描かれる。
帰国物語
オデュッセイア
テレゴニア

http://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle

Title Length (books) Most common attribution Content
Cypria 11 Stasinus the events leading up to the Trojan War and the first nine years of the conflict, especially the Judgement of Paris
Iliad 24 Homer Achilleus' rage against first king Agamemnon and then the Trojan prince Hector, ending with Achilleus killing Hector in revenge for the death of Patroclus
Aethiopis 5 Arctinus the arrival of the Trojan allies, Penthesileia the Amazon and Memnon; their deaths at Achilleus' hands in revenge for the death of Antilochus; Achilleus' own death
Little Iliad 4 Lesches events after Achilles' death, including the building of the Trojan Horse
Iliou persis ("Sack of Troy") 2 Arctinus the destruction of Troy by the Greeks
Nostoi ("returns") 5 Agias or Eumelus the return home of the Greek force and the events contingent upon their arrival, concluding with the returns of Agamemnon and Menelaus
Odyssey 24 Homer the end of Odysseus' voyage home and his vengeance on his wife Penelope's suitors, who have devoured his property in his absence
Telegony 2 Eugammon Odysseus' voyage to Thesprotia and return to Ithaca, and death at the hands of an illegitimate son Telegonus
「誉れ高い総大将アガメムノンよ、あなたは大神ゼウスから大笏を賜った人だ。絶大な権力を委ねられている。そうであればこそ、自分の考えを述べるのと同じように、他人の意見に耳を傾けねばなるまい。何人であれ、意見だけは言わせてやれ。しかし、決定権はあなたのものだ」
 
ここで付言しておけば、古代ギリシア人にとって、ホメロスの歌は娯楽である以上に、道徳教育でもあった、ということである。<イリアス>や<オデュッセイア>を聞きながら、
 ――なるほど。アガメムノンはそう考えたのかーー
とかあるいは、
 ――オレもやっぱりオデュッセウスのように生きなきゃいかんなーー
とか、伝説上の英雄たちの原稿に思いを馳せ、それを生きていく糧としていたのである。
  阿刀田高『ホメロスを楽しむために』p76

2008年1月6日

コンピュータのハードやソフトのメーカーまでが製品にマニュアルをつけて出荷するのは、邪道としか思えない。機械の使い方を教える最高のインストラクターは機械自身なのだ。

『ビーイング・デジタル』p296
貧しい人間には魚ではなく釣竿を与えよ(サウジアラビアのヤマニ石油相)1981年 ウィーンで開催されたOPEC総会での演説


ヤマニ氏は、未開の人間と無教養な人間の違いを知っているかと問いかけた。(中略)
未開人はちっとも無教養ではない。緊密に織り上げられた社会に支えられながら、未開人はわれわれとまったく違う手段で知識を世代から世代へと伝えている。これに対して、無教養な人間というのは現代社会の産物だ。この社会の網の目はもつれてしまっていて、人を支える力がない。
この偉大な族長(シャイフ)の見方は、パパートの「コンストラクティヴィズム(構成的方法)」の考えを未開社会にあてはめたもにほかならない。

『ビーイング・デジタル』p280

電子メールは一つのライフスタイルであり、われわれの仕事の仕方や考え方に大きな影響を及ぼす。特に顕著に現れるのは、仕事と遊びのリズムが変わってくることだ。週に五日、九時からから五時まで働き、年に二週間の休暇をとるというスタイルは、ビジネス・ライフの主流ではなくなりかけている。(中略)
 
もちろん、これに異議を唱える人もいる。特にヨーロッパや日本では多いだろう。仕事と自分との間に距離を置きたい人の権利を無視するつもりは毛頭ない。ただ、それとは逆に自分をいつも「接続された(ワイアード)」状態にしておきたい人間もいるのだ。単純に、どちらをとるかというだけのことである。わたし個人は、日曜に電子メールに返事を書くことになったとしても、月曜に少しでも長くパジャマを着ていられる方がいいと思っている。

『ビーイング・デジタル』p265
ファックスは日本のお家芸だが、そうなったのは(ビデオデッキの場合のように)単に日本人がほかのどの国民よりも規格化して物をつくる能力に優れていたからではない。日本の文化や言語や商習慣において、イメージ志向が強いことも理由の一つだ。(中略)

漢字の象形文字的な正確から、ファックスの利用は自然な流れだった。当時はコンピュータで読める日本語の文書はほとんどなかったから、ファックスを使う不利益もあまりなかったのだ。しかし記号的性格の強い英語のような言語では、コンピュータの可読性の点からいってファックスは大失敗だった。(中略)

ファックスモデムのついたコンピュータがあれば、途中で紙を使う段階は省略できる。(中略)

ファックスと電子メールのアイデアは、どちらも一〇〇年ほど前からすでにあった。ジュール・ヴェルヌが一八六三年に書いた『二十世紀のパリ』という小説の原稿が一九九四年に発見され、刊行された。ヴェルヌはその中でこう書いている。「写真電送を使えば、あらゆる文章や署名や挿絵を遠くへ送ることができる。(二万キロメートルも)離れたところから契約書に署名できるのだ。どの家庭も電線でつながっている」

  『ビーイング・デジタル』p258
誰でも複雑な現象を眼にすると、つい、それをコントロールするものの存在を思い浮かべてしまう。たとえばV字になって飛ぶ鳥の群れを見ると、先頭の鳥が主導権を握っていて、残りはただ従っているのだと思うのが普通だろう。しかし、事実はそうではない。秩序正しい隊形は、単純な調和規則に従って敏感に反応するプロセッサの、個々の振る舞いの総和として現れるだけで、指揮をとる個体がいるわけではないのだ。

『ビーイング・デジタル』p220
 
ばらばらに存在する部分どうしが活発に通信を行う形の方が柔軟性があり、生き延びる見込みも大きい。より長く存続し、時間とともに進化していくのは分散構造の方なのだ。
 
同 p221

2008年1月3日

デジタル化によって、メディアがビットを人々に「押し付ける」のではなくて、ユーザーがビットを「引き出す」ことができるようになる。
 
※ビットはここでは「情報」を指す。それは「コンテンツ」であり、コンテンツを構成する「データ」でもある。
 
『ビーイング・デジタル』p122
コンピュータは利用面でも開発面でも、創造的な表現手段となりつつある
 
TV
開発の動機は技術的な要請。
出来上がった技術は異質な知的サブカルチャーを多様な価値観を持った人々に完成品として手渡された。

写真
写真は写真家によって発明された。
写真技術を完成させた人々は自分が表現するのに必要だからそうした。
芸術上の必要に合わせて、テクニックを洗練させた。
作家が自分の表現したい内容に合わせて形式を創造したように。

コンピュータ
PCはコンピュータ科学を純粋に技術的な動機付けから引き離し、写真に似た形で進化させようとしている。
社会のあらゆる階層の豊かな創造力を持った個人の手に直接つながることにより、利用面でも開発面でも創造的な表現手段となりつつあるのだ。
 
『ビーイング・デジタル』p119
 



いまや、コンピュータとテレコミュニケーションにおける大きな変化は、アプリケーションによって引き起こされるようになってきた。
 
つまり物質に関する基礎科学より、人間が基本的に何を必要としているかが重要になってきたのだ。
 
『ビーイング・デジタル』p110
デジタルの世界において、メディアはメッセージではない。メッセージを具体化したものがメディアなのだ。
 
『ビーイング・デジタル』p105
 
デジタル・コンバージェンス
 
さまざまなメディアがデジタル技術によって一体化していくこと
 
『ビーイング・デジタル』p81
レス・イズ・モア
これは建築家のミース・ファン・デル・ローエの言葉である。(中略)新しいメディアを手にした初心者にとって、この言葉は常に正しい。
「切りつめたものほど豊かだ(レス・イズ・モア)」ということが、初心者には理解できないのである。

『ビーイング・デジタル』p46
ビットはたやすく混じり合う。混合したビットを混じり合ったままでも、また別々にしても扱えるし、繰り返し使うこともできる。音声、ビデオ映像、データが組み合わさったものをマルチメディアと呼ぶ、。複雑そうに聞こえるが、これはビットが混じり合ったものに他ならない。
 
『ビーイング・デジタル』p31
 
ビットはビットについての情報を教えてくれる
(ヘッダい、スラグ(見出し)、キーワード、インデックス……)