2007年11月25日

スイス、永世中立国の姿とは
 
キーワードは「国民皆兵制」
  • 一家に一台の自動小銃
  • 一村にひとつの射撃訓練場
  • 一年に2週間の兵役
国民は全員、国防軍の軍人でもある。
 
歴史的背景
 
ロマンシュ語族の独立戦争
  • 連邦制
  • フランス語、ドイツ語、イタリア語による4つの公用語
 
スイス傭兵の時代
  • 兵士の育成と派遣のビジネス
 
ナポレオンによる(支配) 征服
とばっちり敗戦
ナポレオンの百日天下では連合側につく
オーストリアから見れば「自分の味方でなければ、敵と組んでいるに違いない」と思われる立場
 
中立であることのリスク
 
中立にはリスクがともなう。
中立であることは、周囲のすべてが敵であることと、同義。
いじめを無視して放置することもいじめであるという理論に近い。
 
国際連合との付き合い方
  • 軍事行動への不参加
国際連合との付き合い方
  • 不参加
 
中立を守ることは、複数の正義の両方と戦わなければならない
 
  • アルプスの要塞に籠城してナチスとの戦闘を回避したことは、連合国側からの領空侵犯と誤爆を受けることを招いた
 
 

2007年11月20日

フランスには順応主義を忌避するその国民性とあいまって、「問題に行き詰ったときには事態を揺り動かすことで新しい流れをつくる」という精神が脈々と受け継がれているように思える。

 

「エリゼ宮の食卓」P231

フランスが経済力では日本の後塵を拝しながら、国際政治では日本と比較にならないほどの発言力を保持している理由は3つある。

  1. 国連安全保障理事会5カ国の一角であること
  2. 核兵器保有国であること
  3. 首脳外交を軸とした外交力

フランス大統領は国防と外交を専管事項とし、内政を担当する首相と明確に棲み分けている。

このため大統領は内政に煩わされることなく、積極的な首脳外交を展開し、「フランスの考えと存在を、国際社会により広く知らしめる」ことを可能にしているのである。

ヨーロッパの宮廷外交で外交術を磨いてきた伝統もあるが、何かあるすぐさま内政に足をとられる日本の首相と比べ、外交力で差が出るのは明らかだ。

 

「エリゼ宮の食卓」p221

2007年11月19日

君は君なりに私の同類ではないのか? 何もかも失敗してしまったので恥じているのか? かまうことはない、ちょうど私も同じ目に逢っているのだ。私はひとりだと盛んに吠えて気を紛らす。来なさい。二匹でいる方が楽しい。
 
私は鼻先が入るくらいの穴を掘り、土地だけが聞いてくれるよう、私の横に居るもの、私の上にいるものには聞かれないよう、鼻先を突っ込んだまま歌い、朗唱したのである。
 
「ある老犬の回想」より 「カフカ短編集」P307

2007年11月15日

整理には、焦点が必要である。
目標に向かってすべてのものを統合する。
その方向がはっきりしていないと、まとめをすることができない。
 
収斂的思考は思考の半分に過ぎない。しかも受動的半分である。
創造的半分は拡散的思考、つまり誤解を恐れず、タンジェントの方向に脱出しようとするエネルギーによって生み出される思考である。
これまでにこれが充分認識されないできたのが、われわれの社会の不幸であった。
本当の独創、創造ということが、“変人”でないとできにくいというのは悲しい。
 
自分の新しい解釈を創り出して行くのが、拡散的読書である。当然、筆者の意図とも衝突するであろうが、そんなことにはひるまない。
収斂派からは、誤読、誤読だと非難される。しかし、読みにおいて拡散的作用は表現の生命を不朽にする絶対条件であることも忘れてはなるまい。
古典は拡散的読みによって形成されるからである。筆者の意図がそのままそっくり認められて古典になった作品、文章はひとつも存在しないことはすでにのべたとおりである。

「思考の整理学」P208
長く説明しなければならないほど、考えが未整理なのである。
 
テーマはシングルセンテンスで表現されるものでなくてはならない。
 
「思考の整理学」P145
いい空気のところでないと、すぐれたアイディアを得ることは難しい。

考える場所の雰囲気が大切である。

考えごとをしていて、うまく行かないときに、くよくよしているのがいちばんよくない。
 
アイディアの芽は小さく、弱い。 へこんでいては、思想はまとまらない。

「思考の整理学」P150

2007年11月14日

——神に願いたまえ、きみが常に勝者の側にあることを。なぜなら、勝者の側にあれば、きみにはなんの功績がなくてもむくわれるものだが、反対に敗者の側に立ってしまうと、いかに功績があっても避難されないではすまないからである。——
 
 苦笑するしかないが、これが現実なのだろう。
 
——宗教を敵にまわしてはならない。また、神と関係することすべては、敵にまわさないように心がけるべきである。なぜなら、この対象たるや、馬鹿者どもの頭に、あまりにも協力な影響力をもっているからである。——
 
 ごもっとも!
 
——権力と名誉は、誰もが求めるものである。なぜなら、普通は華やかな面のみが眼につくからで、権力や名誉がもたらす苦労や不快な面はかくれているからだ。しかし、もしも両面とも陽の下に明らかになるとすれば、権力や名誉を求める理由は、ひとつを残せば失われてしまうであろう。そのひとつというのは敬意を払われれば払われるだけ、人は、神に近い存在となったように思えることである。
 男に生まれて、誰が神に似ることを望まない者がいようか。——
 
『覚え書』(リコルディ) グイッチャルディーニが家族のために書き残した
 
「わが友マキアヴェッリ」P527
 
創り出すと言う行為は、幸福であるだけでもできないものだが、不幸であるからといってできるというものでもないからである。
 
 
マキアヴェッリの研究者たちが、この時代のマキアヴェッリを不幸と断じるのに、私はどうしても賛同することができない。たしかに、彼は不幸ではあった。だが、それは、不幸であるとtおもに、幸福であり、幸福であるとともに不幸である、というたぐいの不幸ではなかったか、と私には思えてならない。だからこそ、創作が可能であったのだ、と。創り出すと言う行為は、幸福であるだけでもできないものだが、不幸であるからといってできるというものでもないからである。しかし、この種の幸福は、実を追求することが本来の任務である学者たちには、なかなか分かってもらえないものかもしれない。

「わが友マキアヴェッリ」P460
 


往復書簡としての条件

往復書簡が価値をもつには、いくつかの条件が満たされる必要がある。
  1. 書き手二人ともが、手紙を介した対話であろうと思うこと。それがために、書かれる内容は、送られてきた相手の手紙の内容を受けたものでなくてはならない。双方とも勝手に思うことを書きあっているだけでは、往復書簡にはなり得ないのである。
  2. 書き手は双方とも、率直に想いをはき出す性質の持主である必要がある。社会的な地位に関係なく、人間対人間のぶつかりあいが、対話なのだから。
  3. 共通の関心ごとをもつということである。
  4. 双方ともが、自らの意とすることを格別の苦労もせずに伝えることのできる、文章力の持主であることだろう。手紙一本化久野に気が重くなるようでは、往復書簡のパートナーにはなれない。マキアヴェッリはいうまでもないが、フランチェスコ・ヴェットーリのほうも、後年歴史物などものしたくらいだから、なかなかの文章力の持主であった。
  5. この人とならば話せる、と思う者動詞であることだろう。時間的精神的余裕の有無は、さほどの問題ではあに。偶然にしても、この時期のマキアヴェッリもヴェットーリも相当に暇な身分だったが、忙しさでは人一倍であったのはずのユリウス・カエサルこそ、往復書簡のはじめ手であったとされている。カエサルの場合は口述筆記をさせていたということだが、要は、手紙を通じて対話をしてみたいと思うか思わないかの問題でしかない。

「わが友マキアヴェッリ」P428

秀才の悲劇は、天才の偉大さをわかってしまうところにある。凡才ならば理解できないために幸福でいられるのに、神は、凡才よりは高い才能を与えた秀才には、それを許さなかったのであろう。「神が愛したもうた者(アマデウス)」の偉大さは理解できても、自分にはそれを与えられなかったということを悟った者は、どのような気持ちになるものであろう。
 
「わが友マキアヴェッリ」P541

聴いたことも、考え、そしてまとめることをしないかぎり、シェンツァ(サイエンス)とはならないから、わたしも、彼らとの対話を、『君主論』と題した小論文にまとめてみることにした。そこでは、わたしは、でっきるかぎりこの主題を追求し、分析しようと試みている。
 
ヴェットーリへのマキアヴェッリの手紙、君主論誕生の経緯

「わが友マキアヴェッリ」P446
歴史は、思想なくしては書けない。史観がなければ、客観的な記録に留まってしまう。
 
「わが友マキアヴェッリ」P538
 

一度だけマキアヴェッリも「大使」になったことがある。モナコの領主グリマルディの許に派遣されたときだった。1511年の5月の話で、このときだけマキアヴェッリは、最初にして唯一度、Ambasciatore comunnitatis Fiorencie の肩書きで送られたのである。フィレンツェ共和国大使、というわけだ。

「わが友マキアヴェッリ」P356
六ヵ月前に二十ドゥカートを支払うのに同意しなかった人々は、六ヵ月後に二百ドゥカートを奪われることになる。
 
わたしは、はっきりとと言いたい。運は、制度を変える勇気を持たない者には、その裁定を変えようとはしないし、天も自ら破滅したいと思う者は、助けようとはしないし、助けられるものでもないのである。
 
若干の序論と考慮すべき事情を述べながらの、資金準備についての提言 マキアヴェッリ
 
「わが友マキアヴェッリ」P336
しかし、なによりも、あのクーポラの下には、独自でありながらも普遍性をそなえる文明をつくりだす都市ならば、必ず持っている「毒」、創造する者にとっては、多量に飲めば自壊するしかないが、適量ならば、これ以上の刺激剤はないう、毒もあったのである。

(ルネサンス期のフィレンツェについて)
「わが友マキアヴェッリ」P33

2007年11月13日

ルネサンスとは何であったのか
 
創造の本質、人間の欲求である「見たい、知りたい、分かりたい」が爆発した精神運動。
 
創造への結晶。考えるだけでは不十分、表現することで初めて理解となる。
 
ルネサンスに至るまでの土壌

  • 聖フランチェスコ
    • 商人の子、大学の出ではない
    • 日常語であったイタリア語でキリスト教の教えを説いた。
    • ラテン語は民衆とは乖離。イエスの教えを民衆が自らの頭で考える、新しい聖書の解釈。
    • 選択の自由。非難、排撃をしない。
    • 修道院に寄進すれば救済があるとしたことは、商人に受け入れられた。
    • 貧しさを尊ぶ思想

  • フリードリヒ二世
    • 神聖ローマ帝国皇帝。
    • 皇帝だが高等教育を受けておらず、キリスト教社会では異分子的存在。
    • 大学を出ていないが、ギリシア語、ラテン語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、アラビア語を読み書き話せた。
    • 数学、幾何学、天文学に強い関心をもっていた。
 
フランチェスコは、
  • 聖書と向き合う
  • 虚心とともに読解
  • 自然と向き合う
  • 内なる声を聴こうとした
 
フリードリヒ二世は
  • 好奇心おもむくままに読書した
  • アラブ人たちを臣下におき、科学の教授を受け、実地教育を受けた
 
 
宗教に対する3つの態度

フリードリヒ二世の時代から800年が過ぎてもなお、現代のヨーロッパでは……
  • ateo
    • 神の存在を信じない。無神論者、無信仰者。
  • credente
    • 信仰者。
    • 特にpraticante は教義に忠実、ミサには必ず通うような人々。
  • laico
    • 神の存在を否定はしないが、宗教の関与すべき分野とそうでない分野を明確に区別する人々。
の人々がいる。
 
★ルネサンス期のヨーロッパにおいては、マキアヴェッリも、ガリレオ・ガリレイも、フリードリヒ二世も laico であった。
いわば、ルネサンスは laico たちの精神活動であった。
 
 
フィレンツェ人気質
 
我が身まで傷付けかねないほどの強烈な批判精神。
芸術家の工房は一階にあり、同時に店でもあったので、自由に出入りできた。
 ↓
誰でも自由に批評を言っては立ち去っていった。
購入する気のある人も、ない人も。
 ↓
芸術家はこの手の忠告に貪欲。
批判者と言い争った後で、こっそり作品を補正していたのだろう。
 ↓
当時のフィレンツェは絵画、彫刻に限らず、美を追求するならば何でも引き受けていた。絵も、彫刻も、金工も。
 
★フィレンツェの工房では、見習いはあらゆる作業に従事した。ジャンルを専任するのは、出世後の事だった。
 
 
出版の自由
 
言論の自由が認められていたヴェネツィアで、出版のルネサンスがおこった。
 
★出版によって、知識は協会と修道院から市井へと広がった
 
グーテンベルク
  • 1455年 「42行聖書」の印刷
 
アルド・マヌッツィオ アルド出版社を創立
  • 1490年 ヴェネツィアに渡る
  • 1494年 「ギリシア詩集」刊行
  • 1498年 「アリストテレス全集」刊行
  • ギリシア、古代ローマの「古典」のほか、エラスムス等「現代」作品も刊行した

1495-97年の間、全ヨーロッパで1821点の書物が刊行された。
その内、447点がヴェネツィアで刊行された。(2位のパリは181点) 
 
■ アルドが発明したもの
  1. イタリック体(書体)
    • 読みやすく、ページ内の文字数を多くすることができた
  2. 文庫
    • 紙を8回折るとこから、「オッターヴォ」(八つ折り)と呼ばれた
    • 安価さと小ささで、一般と学生にヒット。普及の原動力となった
 
芸術の振興は教養のある経済人による援助が不可欠。
フィレンツェでは、コシモ・デ・メディチ、ピエロ、ロレンツォの三代がそれにあたる。 
 
■メセナの語源
 古代ローマの皇帝ティベリウスの補佐であったマエケナスが詩人のヴェルギリウスやホラティウスを援助したことに由来。
 
 
アカデミア・プラトニカの終焉
 
一流学者たちの解散。
その理由は、観念論は別の観念で向かってこられると、意外と弱いもの。
ヨーロッパ屈指の学術機関だったのに、ロレンツォの死後、2年で解散。
 
 
哲学と科学
 
誰かがごく一般的な疑問をもった時に発生する「好奇心」。これが科学と哲学の種。
 
ギリシア文明はわずか200年間のあいだに華やかな知性の爆発があった。
  • 芸術、科学、文学、哲学
  • すさまじい量の創作が起こった
  • ヨーロッパ文明の基礎となった。
 
★すべての事柄に「なぜ」を突き付ける
そして、自分なりの回答を常に探す(仮説、想定)、そして見つける事
 
 
創作者に不可欠な要素
 
  • 謙虚さ
  • 誰にも負けないという傲慢不遜
 
一見矛盾するこの要素が成立するのが創作者・クリエイターの条件
常人であれば、その矛盾が精神のハレーションを起こしてしまう。精神の不安定化を招く。
 
創作は「なぜ」に対する、自分なりの回答でもある。
表現は伝達の手段であると同時に、頭の中の考えを明解にする効果もある。
 
 
ローマ市の略記号
 
「SPQR」 Senatus Populus Que Romanus 「元老院ならびにローマ市民」
現代ローマ人は皮肉で Sono porci questi romani 「ローマ市民は豚である」と表現さえする。
  
どこの国よりも国際的、コスモポリタン「ローマ」
 
 
反動宗教改革と異端審問の時代

異端審問官の「実績」をみよ。
動機のただしさを確信している者の行う悪こそ凄まじい。
 
16世紀半ば、異端審問官の手の及ばない知は、ヴェネツィアかアムステルダムのみだった。
 ヴェネツィアでは
  • 異端審問が開かれなかったわけではない。設置は認められていた
  • ただし、共和国側の人間(俗人)の出席が義務と定められた
  • 会則には、委員がひとりでも退席したら、流会になると決めた
すなわち、ヴェネツィアは、反動宗教改革に反対はしなかった。単純に「流した」のである
 
 
大航海時代
 
大航海時代における重要人物

<氏名/出身地/出資者>
  • バルトロメオ・ディアス ■ポルトガル ■ポルトガル王
  • クリストフォロ・コロンブス ■ジェノヴァ ■スペイン女王
  • ヴァスコ・ダ・ガマ ■ポルトガル ■ポルトガル王
  • アメリゴ・ヴェスプッチ ■フィレンツェ ■スペイン王
  • フェルディナンド・マゼラン ■ポルトガル ■スペイン王
  • ジョヴァンニ・ダ・ヴェランツァーノ ■フィレンツェ ■フランス王
 
★大航海時代の航海探検は航海者が企画を出資者に売り込んで実現したもの。スポンサーにももくろみがある。 
 
スペインやポルトガル人は進出先を領有するため、ヴェネツィア等は交易のため。
インカ帝国の滅亡は、スペイン人による掠奪によるものだから、もし、イタリア人が大航海時代をリードしていたならば、インカは滅亡しなかったかもしれない。
 
大航海時代の隠れた主役
 
パオロ・トスカネッリ
 
コロンブスに、インドへの近道は、アフリカに沿っての南下ではなく、大西洋を西へと横断する方法であると言った人物。
人生のほとんどをフィレンツェで過ごしたが、地理学、天文学、宇宙学の学者。
自然現象の観測と数学、幾何学によって、緯度と経度の概念を考えた。
ギリシア語とラテン語に非違で、古代の文献を自分の考えに取り入れた。
また、ハレーよりも前に、ハレー彗星を4度も観測した記録がある。
 
 
権威と権力
 
  • ヴェネツィアは、このバランスを巧みに取った。
  • 国家の代表者である元首(ドージェ)、その権威は国家の最高
  • しかし権力は元老院200票の中の1票でしかない。十人委員会では17票の中の1票
  • 権力が権威のもとに集まらないように工夫されていた
 
権威と権力が比例するのが帝政や君主性である
 
  • ヴェネツィアには「大金持ち(大富豪)」は現れなかったが「富豪」は大勢いた。
  • 貧富の差はいつもあったが、「層」として固定されておらず、敗者復活戦のシステムがあった。
  • 遺族年金のシステムも存在していた。
 
 
表現とは。天才の作品を理解するには
 

表現とは、自己満足ではない。
他者に伝えたいという強烈な想いが内包されているからこそ、力強い作品に結晶する。
 
芸術の解説書を読む必要などない。
作品を前にし、自分が「天才」になったつもりで「虚心平気」に彼らと向き合えば良い。
天才とは、こちらも天才になった気にならなければ、肉薄できない存在なのだ。
 
ダ・ヴィンチが書いたものには、「キミ」という呼びかけが使われていることが多い。
となれば、その「キミ」になって読まなければ、どうしてダ・ヴィンチを理解できようか。
 
 
塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」

2007年11月12日

テーマはひとつでは多すぎる。
ひとつでは、すべてを奪ってしまう。
 
ウィラ・キャザー(アメリカの女流作家)
「(恋人は)ひとりでは多すぎる、ひとりでは、すべてを奪ってしまう」
相手がひとりしかいないと、ほかの人が見えなくなって、すべての秩序を崩してしまう。

「テーマはひとつでは多すぎる。少なくとも2つか3つをもってスタートして欲しい」
   
「思考の整理学」P42
中国の古人、欧陽修(おうようしゅう)は文章を考えるのに良い3つの場所を「三上」と呼んだ。
 
  • 馬上
  • 枕上
  • 厠上
 
今で言えば、通勤電車の車内、就寝前の床の中、トイレの中。
 
「思考の整理学」p37
「見つめるナベは、煮えない」
 
英語には「Sleep over」という成句がある。一晩寝て考える。

朝の思考は発見に満ちている。
 
「思考の整理学」p32
倉庫内の整理は順序良く並べる整理。工場内の整理は邪魔なものを取り除く整理。

コンピューターにできないことをしなくてはならない。創造的人間である。
脳は、新しいものを作り出す工場でなければならない。倉庫なら入れたものを紛失しないようになっていれば良い。
工場にやたらなものがあっては、作業能率が悪い。よけいなものを処分して広々としたスペースをとる必要があるがすべてを捨てては作業にならない。整理が大切である。
 
「思考の整理学」p112から抜粋

2007年11月11日

多数決は、概して、つまらないものを生む
 
無難な住まいは、無難な人生しかくれない 

morimoto のCMより
 

Windows Live Writer から投稿してみた

Windows Live Writer から投稿してみた。

新しいツールは大好きだ。

2007年11月10日

完璧な飛行だった。しかし、完璧な行為というものは評価されない。完璧な行為はとどのつまりは当然のことに思われ、べつに勇気がなくても出来ることに見えてくる。カーティスの一機がまだ森の上を飛びまわり、有名なカーティス夫人が夫の身を案じているさなかに、おおかたの見物客は、もう彼のことを忘れていた。
 
カフカ「ブレシアの飛行機」
自由などほしくありません。出口さえあればいいのです。右であれ左であれ、どこに向けてであれですね、ただこれ一つを願いました。それが錯覚であろうともかまわない、要求がささやかならば錯覚もまたささやかなものであるはずです。どこかへ、どこかへ出ていく! 木箱の壁に押し付けられて、ひたすら膝をかかえているなど、まっぴらだ。
 
カフカ「ある学会報告」より(短編集「田舎医者」収録)
深い藍色の夜空と黄金色の星にさそわれた。何も知らずに空を見上げ、帽子を持ち上げて髪を撫でた。天空は動いても、次なる未来を教えはしない。
 
カフカ「兄弟殺し」より 短編集「田舎医者」収録

2007年11月4日

知の行為
 
知の行為者としての倫理、「反証可能性」
 
考察を導く軸
  • 主体と他者との問題
  • 認識から実践へのプロセス
  • 開かれたコミュニケーションと創造性
 
学問における普遍性
  • 誰にとってもそうである原理
  • そしてその論証
 
「反証可能性」 falsifiability
  • どのような知の言説も、再検討、反論反駁、更新できる可能性
  • 反証可能性が常に開かれていなければならない
 
普遍性とはあらかじめ存在はしない
到達し、獲得することが目指すべき地平
 
  
知の行為
 
普遍性の方へ自らの言語を開いていく仕方や、作法を身に付ける事が肝要
知識をどれだけ仕入れても、普遍性の方へ開かれた表現の手続きに結びついていなkれば知の行為とはならない
 
知の行為の主体となる訓練が必要
 
   
知の行為の主体
  • 普遍性の基準に見合った主体
  • 形式的、技術的に仮設され、借定され、それ故に学習される主体
 
学問的な言説、科学的な言語の習得によって、この主体に自身を置く方法を身に付ける
文科系の学問は、純粋な形式言語ではなく、自然言語の中に根付いている
 
普遍的な形式化が究極的に理論的か
——否、
「不確定性原理」ハイゼンベルク
「不完全性定理」ゲーデル を参照せよ
形式化による普遍性の限界

学問の行為は「ひと」と「ひと」との間の相互関係である
固有の文化的、歴史的な特異性を背負った不透明なもの
 
固有の主体性から出発し、自らの行為を普遍性の方へと開いていくプロセスに自覚的でなければならない
  • 自然科学を含む人間の文化的営みの在り方に根本的な問いを投げかける
  • 新しいプロセスを創造的に生み出す
  • 普遍性へ向かうプロセスは、本質的に想像的な多様性を許容する
 
 
「知の行為」とは
 

知りたいという好奇心を越え、一般化可能な問題が立ち現れた時、「人間とは何か」に収斂していく中で問題意識となり、知の行為がスタートする

問題構成の構造

a. 一般的な問い
自分は今、何を問おうとしているのか

b. 研究対象
材料は何か。対象の固有性、特異性と一般性をいかに結び付けるのか

c. 関連対象
何との関連から特異性、一般性を導き出すのか

d. 方法論
一般的な方向へ切り開いていく
 
学問の行為による記述は、一定の知的な共同体にとっての真理に過ぎない
決してそれが無前提的な唯一の真理ではない
 
自明か否か、
正当か否か、
 一定の文化の体系に因るものに過ぎず、絶対的な普遍性など主張できない
 
真理はそれを見なす主体との相関関係で捉える。主体の数だけ真理がある 
文化や時代を超越して他者と会い、真理について対話する 
 
interest
(利益、権利、関心、所有権)
  • それぞれの主体が持っている固有の力、社会を動かす力
  • 自身の interest に動機付けられた自己を他者の方へ開く事他者の interest との調停へ向かう事が重要
 
対話を導く原理
  • 公正
  • 創造性