2007年11月14日

創り出すと言う行為は、幸福であるだけでもできないものだが、不幸であるからといってできるというものでもないからである。
 
 
マキアヴェッリの研究者たちが、この時代のマキアヴェッリを不幸と断じるのに、私はどうしても賛同することができない。たしかに、彼は不幸ではあった。だが、それは、不幸であるとtおもに、幸福であり、幸福であるとともに不幸である、というたぐいの不幸ではなかったか、と私には思えてならない。だからこそ、創作が可能であったのだ、と。創り出すと言う行為は、幸福であるだけでもできないものだが、不幸であるからといってできるというものでもないからである。しかし、この種の幸福は、実を追求することが本来の任務である学者たちには、なかなか分かってもらえないものかもしれない。

「わが友マキアヴェッリ」P460