聴いたことも、考え、そしてまとめないかぎり、シェンツァ(サイエンス)とはならない(マキアヴェッリ) 思考、知識は第一次的である。その同種を集め、整理し、相互に関連づけると第二次的な思考、情報が生まれる。これをさらに同種のものの間で昇華させると第三次的となる(外山滋比古) などなど考えつつ、読書メモ。
2008年3月2日
いずれしろ仕事が遅いということは、「有言実行」ならぬ「有限速行」のスピードが求められる時代では、仕事人として致命的な欠陥といえます。(中略)そもそも仕事というのは、九割は雑事といってよく、本当に頭を悩ます、あるいは創造性を必要とする仕事は一割もあればいいほうです。ただ、その一割が重要なのですが、雑事もその積み重ねが大きな仕事の成就を支えるので、決しておろそかにはできません。p144
自分の仕事の能力がいまいち伸び切らないと感じている人は、そのなかでも自分の最も得意とするコア・コンピテンシーは何なのかを認識する必要があります。また人に仕事を頼む場合は、既存の評価尺度だけでなく、頼もうとする相手のコンピテンシーをつかみ、その考え方や行動特性に着目すると良いと思います。p145
同じ考え方、同じ見方、同じ感じ方のものがいくら集まっても、これからは飛躍、発展、進歩は望めない。違った考え方、違った見方、違った感じ方の人が大勢いて、初めて飛躍もあるし成長もある——これが多様性(ダイバシティ)の考え方です。p147
企画書、提案書などを作るとき、目的(趣旨)というものを必ず入れます。「なぜこの企画を立案したか」に始まり、企画を作るに至った背景、企画内容の要点、達成目標、問題点、期限などを、ごく簡潔に記します。大義名分書とは企画書、提案書のこの部分に相当するといってよいでしょう。逆に大義名分書がうまく作れなかったら、その仕事はたいした意味がないのことである可能せいが大きい。p167
経過が要約され問題点が浮き彫りになれば「次の一手」が考えやすい。
経過書が持つメリットは、大きく分けて三つあると思います。「全体像がすぐ把握できる」「選択的に迅速理解できる」「推測、予見、予知が可能になる」。経過書を上手に作るコツは、箇条書きにする、比較対照する、図式・図解の多用、イラスト化、キーワードの抽出。p168
ビジネス文書の五つの原則。1必ず用件見出しをつくり、最初に結論を持ってくる。2読む気にさせる。3箇条書きを多用し、拾い読みでも分かるようにする。4最初の三分の一で読むのを止めても理解できるようにする。5すべてを肯定的、前向きに書く。p182
人は本能的に安定を求めます。しかし、変化の時代は安定性の維持が難しい。そこで大切になってくるのがバランス感覚といことです。(中略)バランス感覚の有無を判定するポイントは五つあります。第一は、「結果を想定する能力があるか」、第二は「視野の広さ」、第三に「自己改革ができるか」、第四は「定石を疑えるか」、第五は「迷った時に人に相談できるか」。多くの情報に接し、多くの人にであり、自らも冷静な観察力、判断力、豊かな感受性などを養う必要があります。p217
『朝10時までに仕事は片付ける』
#業務の効率向上に、機械化が最適であった時代はおわった。大量生産は今後はますます人手を介さなくなる。人間力を高める方法を、具体的、かつ簡潔に述べている。ただの仕事の作業効率ではなく、仕事自体の質の向上を説いている。生産性があがることで、業務時間は短縮できる。短縮された業務時間は、個人が仕事以外の面で生きる時間を提供する。そこに早起きによる時間確保の力が加われば、本当にその人物が、「人らしく生きる」道を模索できると思う。
「重要なことは<すでに起こった未来>を確認することである。すでに起こってしまい、もはや後戻りできない変化、しかも重大な影響力をもつことになる変化でありながら、まだ一般には認識されていない変化を知覚し、かつ分析することである」(『すでに起こった未来』P・ドラッカー著、上田惇生ほか訳、ダイヤモンド社刊)
未来はすいでに起こっているのです。だが、その変化にほとんど人はまだ気付いていません。その変化を発見するには「観察すればいい」とドラッカーは言っています。だが、観察しても気付く人と気付かない人がいます。
その差は何かといえば、決して分析データや調査結果ではなく、思う、感じる、考えるといった人間力なのです。偉大な人間力は、ひらめき、直観、ファジィ(あいまいさ)などによって発揮されることが少なくなく、この種の能力は残念ながらコンピュータには備わっていません。
だから、私たちは安心してこの種の感受性に磨きをかければいい。
そのためには、たえず本物や位置流なもの、いいものに接することです。最高のものは人に感動を呼び起こすものです。だから寸暇を作っては、美術館に行ったり、一流の演奏会に行って感動することが大切だと思うのです。
(中略)
一方、直感やカンは、試行錯誤を繰り返しながら、からだで覚えるものだと思います。問題意識を高めながら追究しているなかで、経験や知識が知恵となったとき、直感が磨かれていくのだと思うのです。
『朝10時までに仕事は片付ける』p80
#長く引用したが、とても本質的に重要なことを述べていると思う。
人間が、コンピュータに対し、どのような優越性を持っているのか。それはカンの力だ。
機械にできることしかできない人間は、今後はますます不要になるだろう。
知恵と直感に優れた人物たることが目指される領域なのだと思う。
「兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきをみざるなり」
意味はこうです。「戦術がまずいながらも迅速に動いたと言う話は聞いたことがあるが、うまいやり方で長い時間動き続けたという話は聞いたことがない」
要するに、戦いを長引かせて国益になったためしがない、ということです。戦いにあっては巧遅より拙速のほうが良いと理解できます。時間を制するものはよく勝ちを制する。「スケジュールをつくり、つねに前倒しで実行する」ことです。
『朝10時までに仕事は片付ける』p44
#上手であることは良いことだ。しかし完成が遅い人の作業が早くなるには時間がかかる。
一方、仕上がりの完成度が低いが、手際良く進める者は、慣れるにしたがって完成度は高まる。
作業速度こそ、最重要な要素だと言えるだろう。
2008年3月1日
2008年2月24日
梅田 そう、役割の違いです。それは物語であれ、哲学書であれば、評論であれ、構造化がしっかりとなされたものを、一ページ目から三百ページまでをずっと順に読んでいくということに子供の頃からやっぱり親しむ、そういう習慣をつけるということんお重要性は絶対になくならないですよね。それが身についていたら、ネットで物足りなくなれば、本へ戻ってくるはずですからね。
梅田 「教養」の核になる、読み、書き考える力を身に付けさせてくれるのは、ネットよりも、思考がしっかりと構造化された本だと思いますよ。
『ウェブ人間論』p181
#ウェブが書籍を駆逐するか、という論議を見事に吹き飛ばす対話だと思う。ウェブの進化と真価が検索にあることを知り尽くしている梅田氏は本の特徴は構造化であり、構造的思考力を身に付けるのは構造への理解力が身に付く本以外にはない、と見抜く。
本が持つ構造化の力を身に付けられ泣ければ、ウェブが持つ検索性を有効活用することはできないのだろう。断片情報だけを入手しても、それは知性へと昇華されえない。
作品の存在を知らなかった人がそういう情報によって存在を知って本を買うと言うプラスの方が大きいと思うんです。
『ウェブ人間論』p120
#雑誌のWebに携わっていると、製作中の新刊の内容について、どこまで情報を開示すべきかを検討する。情報提供を上手におこなうことで、「webで見たから買わない」人をゼロにし、「webで始めてその雑誌に興味をもった」人を増やす方法を模索している。
梅田 ただ、それをみんながおもしろがってどんどん悪い方向に向かうのは、むしろリアル側の狭いコミュニティでより強く起こっている現象なんじゃないですか。ネット上で大事なのは伝播力なのです。書く人がいても、誰も見向きしないというのは、存在しないのと一緒。そう考えることが大切です。これは悪いものだけど面白いぞってリンクを張る人が相当数いると、検索でも上位にくるんだけど、全体でみればそんなにとんでもないことにはなっていないと思う。
平野 その自動排除のシステムは、しかし、良し悪しですね。個々人の理性的な判断がそういうものを淘汰するのであれば結構なことですけど、その良さがわからないせいで淘汰されてしまう優良な情報もあるでしょうし。
『ウェブ人間論』p105
#すごく本質的な話をしていると思う。
「秀才の悲劇は、天才の偉大さをわかってしまうことだ」と塩野七生氏は書いている。天才的なひらめきによって発信された「優良な情報」を誰が拾うのだろうか? それに気付く秀才がどこかにいるはずだ。拾われる石は宝石の原石。マックス・ブロートがいなければカフカはいなかった。人類の宝たる「優良な情報」は淘汰ごときでは消えないのが、「真に優良な情報」の条件だと言える。
秀才の悲劇は、天才の偉大さをわかってしまうところにある。凡才ならば理解できないために幸福でいられるのに、神は、凡才よりは高い才能を与えた秀才に は、それを許さなかったのであろう。「神が愛したもうた者(アマデウス)」の偉大さは理解できても、自分にはそれを与えられなかったということを悟った者 は、どのような気持ちになるものであろう。
「わが友マキアヴェッリ」P541
一つは梅田さんにみたいに、リアル社会との間に断絶がなくて、ブログも実名で書き、他のブロガーとのやりとりにも、リアル社会と同じような一定の礼儀が保たれていて、その中で有益な情報交換が行われているというもの。
二つ目は、リアル社会の生活の中では十分に発揮できな自分の多様な一面が、ネット社会で表現されている場合。趣味の世界だとか、まあ、分かりあえる人たち同士で割ときやすい交流が行われているもの。
この二つは、コミュニケーションが前提となっているから、言葉遣いも、割と丁寧ですね。
三つ目は、一種の日記ですね。日々の記録をつけていくという感じで、実際に公開するという意識も強くないのかもしれない。
四つ目は、学校や社会といったリアル社会の規則に抑圧されていて、語られることのない内心の声、本音といったものを吐露する場所としてネットの世界を捉えている人たち。ネットでこそ自分は本音を語れる、つまり、ネットの中の自分こそが「本当の自分」だという感覚で、独白的なブログですね。
で、五つ目は、一種の妄想とか空想のはけ口として、半ば自覚的なんだと思いますがネットの中だけの人格を新たに作ってしまっている人たち。これは、ある種のネット的な言葉遣いに従う中で、気が付かないうちに、普段の自分とは懸け離れてしまっているという場合もあると思いますが。
『ウェブ人間論』p72
#
この後、匿名性についての議論をはさみ、梅田氏は、「(ブログには)日常では分からないことが現れている。リアル世界で付き合っていても相手のすべてがわかるってわけじゃない。両方合わせて一人のアイデンティティで、「ああ、人間って面白いな」って、僕などは思ってしまう」と答えている。
夏目漱石の『こころ』でも、主人公が「先生」の心の闇の中を知るのは最終章になってからだ。ひとりのすべてを知ることはできない。人の過去のすべてを把握することはできない。人の未来を予見することはできない。
人のアイデンティティについて、今後、私は考えてみたい。
これは人間観の問題になりますが、僕にはどうしても、一個の人間の全体がそんなに社会的に「有益」であり得るとは思えない。僕だってその内実は他人にとって何の役にも立たない部分が大半ではないかと思う。だけど、、その役に立たない部分も含めて僕であるし、それを含めて人とコミュニケートし、承認されたちという願望はやっぱりあるんです。(p54)
『ウェブ人間論』平野啓一郎/梅田望夫 p52、54
#人間同士の関係を点と線として結んでいくと、そこには膨大な網目が見えてくる。私と私の妻の間には夫婦という関係があり、私から妻の方向をみると「配偶者」とラベリングされている。妻から私をみると「夫」というラベルとともに、「給金運搬人」という札もぶら下がっている。この部分に限り、双方からみたとき、この関係に限り、網のこの部分は「赤い糸」だ。
Webが可視化、あるいは物質化という言葉には、テクノロジーによって、この関係は人間関係のリンクの仕方(糸のありかた)について具体化を実現させた、という意味が含まれているだろう。
分類と系統立てには、タグ付けが不可欠だ。人は他人をタグ付けする。タグは情報だ。人がその他人について、知っていることはすべてタグで表現されうる。他人の知らない面を知った時、タグが追加される。人類が思索をはじめた瞬間から続いてきたこの思想はテクノロジーと共に具現化された。「汝自身を知れ」、だ。「私はこういう人間である」とする主張はそこそこに、自身の内なるタグを探すべきなのだろうか。「自分はこうである」は「自分はこう思われたい」に過ぎないのだろうから。
永遠に問い続けるのだろうか。「私は、誰だ?」。
2008年2月16日
全く新しい事象を前にして、いくつになっても前向きにそれをおもしろがり、積極的に未来志向で考え、何か挑戦したいと思う若い世代を明るく励ます。それがシリコンバレーの「大人の流儀」たるオプティミズムである。
「ウェブ進化論」p246
#私の目指す大人は、世代交代をみずから奨励するような大人。それが私の目指す大人。自分の時代で自分のもの、知恵、アイデア、そうしたものを存分に出し切って創造の限りを尽くした後、それを次世代に託す。取捨選択は任せる。前の世代から引き継いだものを、次の世代へ、次の世代というのはつまり、未来の世界への遺産として残すこと。私は音楽を通じて、それを学んだ。10代の時、60歳までに世界の頂点たるプレイヤーになることが目標だった。前の世代からバトンタッチされるものを、次の世代へ受け渡す。きっと、そうして1000年にわたって、芸術は生き続けていくだろう、音楽は生きながらえていくだろう、と信じていた。やめるその日までは。でも、そういうことなんだ。前向き、明るく、期待をこめて、希望を持つ。そうした成熟した大人になりたい。
一気に高速道路の終点にたどりついたあとにどういう生き方をすべきなのか。特に若い世代は、そのことについて意識的でなければならない。
「ウェブ進化論」p216
#インターネットを「知の高速道路」と表現するかたは多い。私は「音声ガイダンスと照準を自動で合わせてくれるオート機能付き望遠鏡」と表現したい。肉眼では知り得なかった情報、肉眼で認識できる距離まで接近しなくては手に入らなかった情報が、足労をかけずとも見られるから。地球儀を手にして、世界の広大さと、世界の有限さを同時に知った子供のように、インターネットで知ったことを、どのように蓄積し、バイアスをかけるか。あるいは醸造するのかを考える。
- 時系列にカジュアルに記載でき要領に事実上限界がないこと、
- カテゴリー分類とキーワード検索ができること
- 手ぶらで動いても(自分のPCを持ち歩かなくとも)インターネットへアクセスさえあれば情報にたどりつけること
- 他者とその内容をシェアするのが容易であること
- 他者との間で知的生産の創発的発展が期待できること
さまざまな「知的生産の道具」と長いこと格闘してきた結果、
- 道具はシンプルなのがいい
- 道具にたいしては過度に期待するのではなく、その道具の特徴を理解してこちらからうまく歩み寄り、道具と自分がお互いに短所を補いあうようにしながら一体になってしっくりとやっていけるかどうか
ブログを「知的生産の道具」として使う場合の、私の方からの「歩み寄り方」とは何か。それは、
- 対象となる情報源がネット上のものである場合
- リンクを貼る
- 出典も転記
- 最も重要な部分はコピペ
- 簡単な意見も合わせて書けばさらにいい
- 対象となる情報源がネット上のものでない場合
- 出典を転記
- 最も重要な部分を筆写
- なぜ筆写したのかもきちんと書けば、筆写部分を「引用」扱いにできる。
「ウェブ進化論」p166-7
#ご明察! 筆写理由がなければ、自分がそこに何を感じ、将来の自分に何を残そうとしたのか、見えなくなってしまう。
そうだった。私のこの転記には、これがぬけていた。大いに恥じ入る。
つまり情報の隠蔽を基本とする従来型組織を支援する情報システムである。
一方、情報の公開・共有を原則とする新しい仕組みの場合、あらゆる情報が公開されていても、絶対に処理しなければならない自分宛の情報以外は、読んでも読まなくてもいい。
情報の送り手ではなく受け手が、必要な情報を選んで処理していく。
(中略)
「この人間にこの情報は開示しても構わない」と誰かが判断した情報だけが開示される環境かで、個々人が仕事をしていく。だから、貴重な情報を握ってコントロールすることが組織を生き抜く原則となる。よって部門間で、情報共有を目的とする会議が増えていく。
しかしモチベーションの高いメンバーだけで構成される小さな組織っで、すべtねお情報が共有されると、ものすごいスピードで物事が進み、それが大きなパワーを生む。仕事の生産性が著しく向上する。
「ウェブ進化論」p81
2008年2月2日
その場の雰囲気がリラックスしてきたら、そこではじめてメモ帖を取り出すべきである。(p250)
ノン・メモ取材が推奨されるケース
- 自己顕示欲が強い相手
- 政治家、女優、宗教家など、作話性が強い相手。
- トップシークレットを握る相手
- 警戒心が前面に出て、喋ってよいことまで喋らなくなる。
- 素人を相手に取材する場合
- ドギマギして支離滅裂になるか、紋切り型の応えしか帰ってこなくなる。
インタビューの目的は、相手から情報を引き出すことであり、自分の知識をひけらかすことではない。こちらもそのテーマに(強いことを)少しは心得ていることを示してやる必要はある。(=ときには反論も必要である)
インタビューの最後の二、三分間は最も大切なとき。インタビューイはようやく解放されるのをよろこぶあまり、つい口が軽くなるもの。
ジョン・ガンサー
「それから安請け合いをしないことだね。忙しいときや自分でやれそうもないテーマを与えられたときは、ことわるほうがよい。それが編集者に対する思いやりというものだ」
大宅壮一が新聞社を辞して独立した大隈秀夫に贈った言葉
「文章の実習」p204
2008年1月31日
2008年1月21日
2008年1月14日
されば言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、という働きをもっております。p3
思想を一定の型に入れてしまうという欠点があります。p4
言語は万能なものではなきこと、その働きは不自由であり、時には有害なものであることを、忘れてはならないのであります。p4
もっとも実用的に書くということが、即ち芸術的手腕を要するところなので、これがなかなか容易に出来る業ではないのであります、p14
実用文においても、こういう技巧があればあった方がよいのであります。
口語体の大いなる欠点は表現法の自由に釣られて長たらしくなり、放漫に陥りやすいことでありまして、p20
文章のコツ、即ち人に「分からせる」ように書く秘訣は、言葉や文字で表現できることと出出来ないことの限界を知り、その限界内にとどまることが第一 p20
口語文といえ、文章の音楽的効果と視覚的効果とを全然無視してよいはずはありません。なぜなら人に「分からせる」ためには、文字の形とか音の調子とか言うことも、あづかって力があるからであります。読者自身はあるいはそれらの関係を意識しないで読んでいるかもしれません。しかしながら、眼や耳からくる感覚的な快さが、いかに理解を助けるものであるかと言うことは、名文家は皆よく知っているのであります。p25
われわれは読者の眼と耳とに訴えるあらゆる要素を利用して、表現の不足を補って差し支えない。p26
即ち、真に「分からせるように」書くためには「記憶させるように」書くことが必要なのであります。
文章をつづる場合に、先ずその文句を実際に声に出して暗誦し、それがすらすらと言えるかどうかを試してみることが必要。p33
この読本で取り扱うのは、専門の学術的な文章ではなくて、われらが日常眼に触れるところの、一般的、実用的な文章でありますp65
文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない、だから、文法には囚われるな。全体、日本語には、西洋語にあるようなむづかしい文法と言うものはありません。p67
文法のためにおかれた煩瑣な言葉を省くことに努め、国文の持つ簡素な形式に還元するように心がけるのが、名文を書く秘訣なのであります。p67
感覚を研くにはどうすればよいのかと言うと、
出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと が第一であります。次に
実際に自分で作ってみること が第二であります。p86
文章の要素を
- 用語:分かりやすい語を選ぶこと。
- 調子:その文章における調子は、その人の精神の流動であり、リズム。簡潔さや流麗さ、冷静さなど。
- 文体:ある文章の書き方を、流れと見て、その流露感の方から論ずれば調子、流れを一つの状態と見れば、文体。
- 体裁:文字の視覚的要素。文章の視覚的並びに音楽的効果としてのみ取り扱う。
- 品格:饒舌を慎むこと、言葉使いを粗略にせぬこと、敬語や尊称を疎かにせぬこと。それにふさわしい精神を涵養することが第一。
- 含蓄:あまりはっきりとさせようとせぬこと、意味のつながりに間隙を置くこと。
と、こう六つに分けることにいたします。p98
『文章読本』谷崎潤一郎 初版昭和35年
2008年1月13日
があえて私見を述べれば、やはり、これは人間の物語なのではあるまいか。出来事の粗筋を決定するのは、ほとんどの場合、神々の意志であり、その点では人間の介入する余地はないのだが、それが古代ギリシア人の見た神々の姿だったろう。
まったくの話、神々は気紛れで、なにを考え、なにを意図しているのかわからない。恵みを垂れてくれたかと思えば、突然、罰を与えたりする。なんの理由もないのに……。少なくとも人間には、なんの理由もないように思えるのに……。
——しかし、これだけの罰を受ける以上、なにか理由があるにちがいない——
人間たちは悩み、問いかけ、祈り、そして努力をする。計り知れない神の意志に翻弄されながら、どのようにして自分んお、人間としての倫理を確立するか。避けることのできない死をどう迎えるか。二つの叙事詩には、神々の気紛れにもまれながら葛藤する人間のドラマが随所に見えてきて、それゆえに、これは人間の物語だと思うことが私にはできるのである。現代の私たちも、このように神を見ようとすれば、見えてくるだろう。
『ホメロスを楽しむために』p283
キュプリア(キプロス物語) 戦争の原因と開戦の経緯が描かれる
イリアス アキレウスとアガメムノンの確執と和解、ヘクトルの戦死が描かれる アイティオピス(エチオピア王物語) ペンテシレイア率いるアマゾン軍が、次いでエチオピア王メムノンの軍がトロイアに加勢するがアキレウスに討たれる。そしてアキレウスの死、アキレウスの武具をめぐってオデュッセウスと大アイアスが争った事などが記されている。
小イリアス (トロイア小譚)オデュセウスと大アイアすの争いで校舎が敗れて狂気に陥ることを描く。
イリオスの陥落(トロイア落城)木馬の計略、木馬を城内に搬入することに反対したラオコーンやカッサンドラの予言が描かれ、トロイアが壊滅する様子が描かれる。
帰国物語
オデュッセイア
テレゴニア
http://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle
| Title | Length (books) | Most common attribution | Content |
|---|---|---|---|
| Cypria | 11 | Stasinus | the events leading up to the Trojan War and the first nine years of the conflict, especially the Judgement of Paris |
| Iliad | 24 | Homer | Achilleus' rage against first king Agamemnon and then the Trojan prince Hector, ending with Achilleus killing Hector in revenge for the death of Patroclus |
| Aethiopis | 5 | Arctinus | the arrival of the Trojan allies, Penthesileia the Amazon and Memnon; their deaths at Achilleus' hands in revenge for the death of Antilochus; Achilleus' own death |
| Little Iliad | 4 | Lesches | events after Achilles' death, including the building of the Trojan Horse |
| Iliou persis ("Sack of Troy") | 2 | Arctinus | the destruction of Troy by the Greeks |
| Nostoi ("returns") | 5 | Agias or Eumelus | the return home of the Greek force and the events contingent upon their arrival, concluding with the returns of Agamemnon and Menelaus |
| Odyssey | 24 | Homer | the end of Odysseus' voyage home and his vengeance on his wife Penelope's suitors, who have devoured his property in his absence |
| Telegony | 2 | Eugammon | Odysseus' voyage to Thesprotia and return to Ithaca, and death at the hands of an illegitimate son Telegonus |
ここで付言しておけば、古代ギリシア人にとって、ホメロスの歌は娯楽である以上に、道徳教育でもあった、ということである。<イリアス>や<オデュッセイア>を聞きながら、
――なるほど。アガメムノンはそう考えたのかーー
とかあるいは、
――オレもやっぱりオデュッセウスのように生きなきゃいかんなーー
とか、伝説上の英雄たちの原稿に思いを馳せ、それを生きていく糧としていたのである。
阿刀田高『ホメロスを楽しむために』p76
2008年1月6日
ヤマニ氏は、未開の人間と無教養な人間の違いを知っているかと問いかけた。(中略)
未開人はちっとも無教養ではない。緊密に織り上げられた社会に支えられながら、未開人はわれわれとまったく違う手段で知識を世代から世代へと伝えている。これに対して、無教養な人間というのは現代社会の産物だ。この社会の網の目はもつれてしまっていて、人を支える力がない。
この偉大な族長(シャイフ)の見方は、パパートの「コンストラクティヴィズム(構成的方法)」の考えを未開社会にあてはめたもにほかならない。
『ビーイング・デジタル』p280
もちろん、これに異議を唱える人もいる。特にヨーロッパや日本では多いだろう。仕事と自分との間に距離を置きたい人の権利を無視するつもりは毛頭ない。ただ、それとは逆に自分をいつも「接続された(ワイアード)」状態にしておきたい人間もいるのだ。単純に、どちらをとるかというだけのことである。わたし個人は、日曜に電子メールに返事を書くことになったとしても、月曜に少しでも長くパジャマを着ていられる方がいいと思っている。
『ビーイング・デジタル』p265
漢字の象形文字的な正確から、ファックスの利用は自然な流れだった。当時はコンピュータで読める日本語の文書はほとんどなかったから、ファックスを使う不利益もあまりなかったのだ。しかし記号的性格の強い英語のような言語では、コンピュータの可読性の点からいってファックスは大失敗だった。(中略)
ファックスモデムのついたコンピュータがあれば、途中で紙を使う段階は省略できる。(中略)
ファックスと電子メールのアイデアは、どちらも一〇〇年ほど前からすでにあった。ジュール・ヴェルヌが一八六三年に書いた『二十世紀のパリ』という小説の原稿が一九九四年に発見され、刊行された。ヴェルヌはその中でこう書いている。「写真電送を使えば、あらゆる文章や署名や挿絵を遠くへ送ることができる。(二万キロメートルも)離れたところから契約書に署名できるのだ。どの家庭も電線でつながっている」
『ビーイング・デジタル』p258
2008年1月3日
TV
写真
写真技術を完成させた人々は自分が表現するのに必要だからそうした。
芸術上の必要に合わせて、テクニックを洗練させた。
作家が自分の表現したい内容に合わせて形式を創造したように。
コンピュータ
社会のあらゆる階層の豊かな創造力を持った個人の手に直接つながることにより、利用面でも開発面でも創造的な表現手段となりつつあるのだ。
『ビーイング・デジタル』p119
2007年12月31日
トーマスはいつもそう思っていたに違いない。
『二人の紅茶王』P104
トーマスはトーマス・リプトン。リプトン紅茶の創業者にして、大衆紅茶をイギリスのみならず、世界に定着させた世紀の商人。
両親はアイルランドの大飢饉から逃れ、イングランドのグラスゴーに移住した難民。小さな雑貨商を営み、その経営哲学は、一人息子のトーマスへ引き継がれた。
ほぼ無一文に近い状態からのスタート。丁稚奉公をしながらビジネスの才を延ばした天才的商人、トーマス・リプトン。
常にイギリス上流階級に対し、皮肉的な視線を送りながらも、童心を忘れず、生産者を搾取もしなかった。
王室の経済的な難題の解決にも陰で助力。その功績は王室にも認められ、最終的には准男爵の爵位まで得るに至る。
2007年12月26日
演繹、帰納:真偽を論証
アブダクション:良否を検証
deduction(演繹)
前提となる主張から、別の主張を導く
induction(帰納)
観察されてデータ(蓄積された情報)を基に、真である普遍法則が導き出される。
→帰納ははたして有効な科学的推論か?
- データは完全無欠ではない
- 背景仮定から完全に中立かどうかは不明
- データの集積の延長線上に見えて来る普遍法則とは?
abduction(仮説的推論)
「結果から原因へとさかのぼっていく推理」
「裁量の説明を発見する」推論方式
アブダクションの命名者はチャールズ・S・パース 19世紀の哲学者で記号論の創始者。
アブダクションの特徴
- 真偽は問はない
- 観察されたデータに基づいて「より良い説明」を与えてくれる推論を相互比較する
- 対立理論との検証
系統樹思考の世界 -p65
2007年12月24日
2007年12月23日
ダーウィンが「種の起原」で示した「進化」の同義語 -p17
進化的思考 Evolutionary thinking
進化的にものを考えることで、それまで説明のつかなかったことが一幅の絵のように整然とした論になる。 -p18
系統樹思考
--何か相互に由来関係があるのではないか、という問いかけ -p24
多様性を「系譜」という観点で理解しようとすること -p37
科学的であるかどうかは、個々の科学研究分野の特性や制約の中で、いかにして仮説や主張を経験的にテストできるかどうかに主眼がおかれるべき。 -p45
普遍法則を求める科学が「タイプ」について論議してきたのに対し、歴史や進化を論じる科学は「トークン」に関する考察をしていると言ってもかまわない -p75
分類は絶対的なものではなく、ある採用された分類基準(類似性の尺度)にしたがってグループ分けをしているに過ぎない。 -p
系統樹を描くということは、多様な対象物に関する鳥瞰図を与えると同時に(略)相互比較のための足場を組み立て、そのような多様性が生じた因果に関する推類を可能にし、さらには対象物に関するさまざまな地検を体系化し、整理するという役割も担っている。 -p164
「系統樹の世界」
2007年12月2日
2007年11月25日
キーワードは「国民皆兵制」
- 一家に一台の自動小銃
- 一村にひとつの射撃訓練場
- 一年に2週間の兵役
歴史的背景
ロマンシュ語族の独立戦争
- 連邦制
- フランス語、ドイツ語、イタリア語による4つの公用語
スイス傭兵の時代
- 兵士の育成と派遣のビジネス
ナポレオンによる(支配) 征服
とばっちり敗戦
ナポレオンの百日天下では連合側につく
オーストリアから見れば「自分の味方でなければ、敵と組んでいるに違いない」と思われる立場
中立であることのリスク
中立にはリスクがともなう。
中立であることは、周囲のすべてが敵であることと、同義。
いじめを無視して放置することもいじめであるという理論に近い。
国際連合との付き合い方
- 軍事行動への不参加
- 不参加
中立を守ることは、複数の正義の両方と戦わなければならない
- アルプスの要塞に籠城してナチスとの戦闘を回避したことは、連合国側からの領空侵犯と誤爆を受けることを招いた
2007年11月20日
フランスが経済力では日本の後塵を拝しながら、国際政治では日本と比較にならないほどの発言力を保持している理由は3つある。
- 国連安全保障理事会5カ国の一角であること
- 核兵器保有国であること
- 首脳外交を軸とした外交力
フランス大統領は国防と外交を専管事項とし、内政を担当する首相と明確に棲み分けている。
このため大統領は内政に煩わされることなく、積極的な首脳外交を展開し、「フランスの考えと存在を、国際社会により広く知らしめる」ことを可能にしているのである。
ヨーロッパの宮廷外交で外交術を磨いてきた伝統もあるが、何かあるすぐさま内政に足をとられる日本の首相と比べ、外交力で差が出るのは明らかだ。
「エリゼ宮の食卓」p221
2007年11月19日
2007年11月15日
目標に向かってすべてのものを統合する。
その方向がはっきりしていないと、まとめをすることができない。
収斂的思考は思考の半分に過ぎない。しかも受動的半分である。
創造的半分は拡散的思考、つまり誤解を恐れず、タンジェントの方向に脱出しようとするエネルギーによって生み出される思考である。
これまでにこれが充分認識されないできたのが、われわれの社会の不幸であった。
本当の独創、創造ということが、“変人”でないとできにくいというのは悲しい。
自分の新しい解釈を創り出して行くのが、拡散的読書である。当然、筆者の意図とも衝突するであろうが、そんなことにはひるまない。
収斂派からは、誤読、誤読だと非難される。しかし、読みにおいて拡散的作用は表現の生命を不朽にする絶対条件であることも忘れてはなるまい。
古典は拡散的読みによって形成されるからである。筆者の意図がそのままそっくり認められて古典になった作品、文章はひとつも存在しないことはすでにのべたとおりである。
「思考の整理学」P208
2007年11月14日
苦笑するしかないが、これが現実なのだろう。
——宗教を敵にまわしてはならない。また、神と関係することすべては、敵にまわさないように心がけるべきである。なぜなら、この対象たるや、馬鹿者どもの頭に、あまりにも協力な影響力をもっているからである。——
ごもっとも!
——権力と名誉は、誰もが求めるものである。なぜなら、普通は華やかな面のみが眼につくからで、権力や名誉がもたらす苦労や不快な面はかくれているからだ。しかし、もしも両面とも陽の下に明らかになるとすれば、権力や名誉を求める理由は、ひとつを残せば失われてしまうであろう。そのひとつというのは敬意を払われれば払われるだけ、人は、神に近い存在となったように思えることである。
男に生まれて、誰が神に似ることを望まない者がいようか。——
『覚え書』(リコルディ) グイッチャルディーニが家族のために書き残した
「わが友マキアヴェッリ」P527
マキアヴェッリの研究者たちが、この時代のマキアヴェッリを不幸と断じるのに、私はどうしても賛同することができない。たしかに、彼は不幸ではあった。だが、それは、不幸であるとtおもに、幸福であり、幸福であるとともに不幸である、というたぐいの不幸ではなかったか、と私には思えてならない。だからこそ、創作が可能であったのだ、と。創り出すと言う行為は、幸福であるだけでもできないものだが、不幸であるからといってできるというものでもないからである。しかし、この種の幸福は、実を追求することが本来の任務である学者たちには、なかなか分かってもらえないものかもしれない。
「わが友マキアヴェッリ」P460
往復書簡が価値をもつには、いくつかの条件が満たされる必要がある。
- 書き手二人ともが、手紙を介した対話であろうと思うこと。それがために、書かれる内容は、送られてきた相手の手紙の内容を受けたものでなくてはならない。双方とも勝手に思うことを書きあっているだけでは、往復書簡にはなり得ないのである。
- 書き手は双方とも、率直に想いをはき出す性質の持主である必要がある。社会的な地位に関係なく、人間対人間のぶつかりあいが、対話なのだから。
- 共通の関心ごとをもつということである。
- 双方ともが、自らの意とすることを格別の苦労もせずに伝えることのできる、文章力の持主であることだろう。手紙一本化久野に気が重くなるようでは、往復書簡のパートナーにはなれない。マキアヴェッリはいうまでもないが、フランチェスコ・ヴェットーリのほうも、後年歴史物などものしたくらいだから、なかなかの文章力の持主であった。
- この人とならば話せる、と思う者動詞であることだろう。時間的精神的余裕の有無は、さほどの問題ではあに。偶然にしても、この時期のマキアヴェッリもヴェットーリも相当に暇な身分だったが、忙しさでは人一倍であったのはずのユリウス・カエサルこそ、往復書簡のはじめ手であったとされている。カエサルの場合は口述筆記をさせていたということだが、要は、手紙を通じて対話をしてみたいと思うか思わないかの問題でしかない。
「わが友マキアヴェッリ」P428
2007年11月13日
創造の本質、人間の欲求である「見たい、知りたい、分かりたい」が爆発した精神運動。
創造への結晶。考えるだけでは不十分、表現することで初めて理解となる。
ルネサンスに至るまでの土壌
- 聖フランチェスコ
- 商人の子、大学の出ではない
- 日常語であったイタリア語でキリスト教の教えを説いた。
- ラテン語は民衆とは乖離。イエスの教えを民衆が自らの頭で考える、新しい聖書の解釈。
- 選択の自由。非難、排撃をしない。
- 修道院に寄進すれば救済があるとしたことは、商人に受け入れられた。
- 貧しさを尊ぶ思想
- フリードリヒ二世
- 神聖ローマ帝国皇帝。
- 皇帝だが高等教育を受けておらず、キリスト教社会では異分子的存在。
- 大学を出ていないが、ギリシア語、ラテン語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、アラビア語を読み書き話せた。
- 数学、幾何学、天文学に強い関心をもっていた。
フランチェスコは、
- 聖書と向き合う
- 虚心とともに読解
- 自然と向き合う
- 内なる声を聴こうとした
フリードリヒ二世は
- 好奇心おもむくままに読書した
- アラブ人たちを臣下におき、科学の教授を受け、実地教育を受けた
宗教に対する3つの態度
フリードリヒ二世の時代から800年が過ぎてもなお、現代のヨーロッパでは……
- ateo
- 神の存在を信じない。無神論者、無信仰者。
- credente
- 信仰者。
- 特にpraticante は教義に忠実、ミサには必ず通うような人々。
- laico
- 神の存在を否定はしないが、宗教の関与すべき分野とそうでない分野を明確に区別する人々。
★ルネサンス期のヨーロッパにおいては、マキアヴェッリも、ガリレオ・ガリレイも、フリードリヒ二世も laico であった。
いわば、ルネサンスは laico たちの精神活動であった。
フィレンツェ人気質
我が身まで傷付けかねないほどの強烈な批判精神。
芸術家の工房は一階にあり、同時に店でもあったので、自由に出入りできた。
↓
誰でも自由に批評を言っては立ち去っていった。
購入する気のある人も、ない人も。
↓
芸術家はこの手の忠告に貪欲。
批判者と言い争った後で、こっそり作品を補正していたのだろう。
↓
当時のフィレンツェは絵画、彫刻に限らず、美を追求するならば何でも引き受けていた。絵も、彫刻も、金工も。
★フィレンツェの工房では、見習いはあらゆる作業に従事した。ジャンルを専任するのは、出世後の事だった。
出版の自由
言論の自由が認められていたヴェネツィアで、出版のルネサンスがおこった。
★出版によって、知識は協会と修道院から市井へと広がった
グーテンベルク
- 1455年 「42行聖書」の印刷
アルド・マヌッツィオ アルド出版社を創立
- 1490年 ヴェネツィアに渡る
- 1494年 「ギリシア詩集」刊行
- 1498年 「アリストテレス全集」刊行
- ギリシア、古代ローマの「古典」のほか、エラスムス等「現代」作品も刊行した
1495-97年の間、全ヨーロッパで1821点の書物が刊行された。
その内、447点がヴェネツィアで刊行された。(2位のパリは181点)
■ アルドが発明したもの
- イタリック体(書体)
- 読みやすく、ページ内の文字数を多くすることができた
- 文庫
- 紙を8回折るとこから、「オッターヴォ」(八つ折り)と呼ばれた
- 安価さと小ささで、一般と学生にヒット。普及の原動力となった
芸術の振興は教養のある経済人による援助が不可欠。
フィレンツェでは、コシモ・デ・メディチ、ピエロ、ロレンツォの三代がそれにあたる。
■メセナの語源
古代ローマの皇帝ティベリウスの補佐であったマエケナスが詩人のヴェルギリウスやホラティウスを援助したことに由来。
アカデミア・プラトニカの終焉
一流学者たちの解散。
その理由は、観念論は別の観念で向かってこられると、意外と弱いもの。
ヨーロッパ屈指の学術機関だったのに、ロレンツォの死後、2年で解散。
哲学と科学
誰かがごく一般的な疑問をもった時に発生する「好奇心」。これが科学と哲学の種。
ギリシア文明はわずか200年間のあいだに華やかな知性の爆発があった。
- 芸術、科学、文学、哲学
- すさまじい量の創作が起こった
- ヨーロッパ文明の基礎となった。
★すべての事柄に「なぜ」を突き付ける
そして、自分なりの回答を常に探す(仮説、想定)、そして見つける事
創作者に不可欠な要素
- 謙虚さ
- 誰にも負けないという傲慢不遜
一見矛盾するこの要素が成立するのが創作者・クリエイターの条件
常人であれば、その矛盾が精神のハレーションを起こしてしまう。精神の不安定化を招く。
創作は「なぜ」に対する、自分なりの回答でもある。
表現は伝達の手段であると同時に、頭の中の考えを明解にする効果もある。
ローマ市の略記号
「SPQR」 Senatus Populus Que Romanus 「元老院ならびにローマ市民」
現代ローマ人は皮肉で Sono porci questi romani 「ローマ市民は豚である」と表現さえする。
どこの国よりも国際的、コスモポリタン「ローマ」
反動宗教改革と異端審問の時代
異端審問官の「実績」をみよ。
動機のただしさを確信している者の行う悪こそ凄まじい。
16世紀半ば、異端審問官の手の及ばない知は、ヴェネツィアかアムステルダムのみだった。
ヴェネツィアでは
- 異端審問が開かれなかったわけではない。設置は認められていた
- ただし、共和国側の人間(俗人)の出席が義務と定められた
- 会則には、委員がひとりでも退席したら、流会になると決めた
大航海時代
大航海時代における重要人物
<氏名/出身地/出資者>
- バルトロメオ・ディアス ■ポルトガル ■ポルトガル王
- クリストフォロ・コロンブス ■ジェノヴァ ■スペイン女王
- ヴァスコ・ダ・ガマ ■ポルトガル ■ポルトガル王
- アメリゴ・ヴェスプッチ ■フィレンツェ ■スペイン王
- フェルディナンド・マゼラン ■ポルトガル ■スペイン王
- ジョヴァンニ・ダ・ヴェランツァーノ ■フィレンツェ ■フランス王
★大航海時代の航海探検は航海者が企画を出資者に売り込んで実現したもの。スポンサーにももくろみがある。
スペインやポルトガル人は進出先を領有するため、ヴェネツィア等は交易のため。
インカ帝国の滅亡は、スペイン人による掠奪によるものだから、もし、イタリア人が大航海時代をリードしていたならば、インカは滅亡しなかったかもしれない。
大航海時代の隠れた主役
パオロ・トスカネッリ
コロンブスに、インドへの近道は、アフリカに沿っての南下ではなく、大西洋を西へと横断する方法であると言った人物。
人生のほとんどをフィレンツェで過ごしたが、地理学、天文学、宇宙学の学者。
自然現象の観測と数学、幾何学によって、緯度と経度の概念を考えた。
ギリシア語とラテン語に非違で、古代の文献を自分の考えに取り入れた。
また、ハレーよりも前に、ハレー彗星を4度も観測した記録がある。
権威と権力
- ヴェネツィアは、このバランスを巧みに取った。
- 国家の代表者である元首(ドージェ)、その権威は国家の最高
- しかし権力は元老院200票の中の1票でしかない。十人委員会では17票の中の1票
- 権力が権威のもとに集まらないように工夫されていた
権威と権力が比例するのが帝政や君主性である
- ヴェネツィアには「大金持ち(大富豪)」は現れなかったが「富豪」は大勢いた。
- 貧富の差はいつもあったが、「層」として固定されておらず、敗者復活戦のシステムがあった。
- 遺族年金のシステムも存在していた。
表現とは。天才の作品を理解するには
表現とは、自己満足ではない。
他者に伝えたいという強烈な想いが内包されているからこそ、力強い作品に結晶する。
芸術の解説書を読む必要などない。
作品を前にし、自分が「天才」になったつもりで「虚心平気」に彼らと向き合えば良い。
天才とは、こちらも天才になった気にならなければ、肉薄できない存在なのだ。
ダ・ヴィンチが書いたものには、「キミ」という呼びかけが使われていることが多い。
となれば、その「キミ」になって読まなければ、どうしてダ・ヴィンチを理解できようか。
塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」
2007年11月12日
2007年11月11日
2007年11月10日
2007年11月4日
知の行為者としての倫理、「反証可能性」
考察を導く軸
- 主体と他者との問題
- 認識から実践へのプロセス
- 開かれたコミュニケーションと創造性
学問における普遍性
- 誰にとってもそうである原理
- そしてその論証
「反証可能性」 falsifiability
- どのような知の言説も、再検討、反論反駁、更新できる可能性
- 反証可能性が常に開かれていなければならない
普遍性とはあらかじめ存在はしない
到達し、獲得することが目指すべき地平
知の行為
普遍性の方へ自らの言語を開いていく仕方や、作法を身に付ける事が肝要
知識をどれだけ仕入れても、普遍性の方へ開かれた表現の手続きに結びついていなkれば知の行為とはならない
知の行為の主体となる訓練が必要
知の行為の主体
- 普遍性の基準に見合った主体
- 形式的、技術的に仮設され、借定され、それ故に学習される主体
学問的な言説、科学的な言語の習得によって、この主体に自身を置く方法を身に付ける
文科系の学問は、純粋な形式言語ではなく、自然言語の中に根付いている
普遍的な形式化が究極的に理論的か
——否、
「不完全性定理」ゲーデル を参照せよ
学問の行為は「ひと」と「ひと」との間の相互関係である
固有の文化的、歴史的な特異性を背負った不透明なもの
固有の主体性から出発し、自らの行為を普遍性の方へと開いていくプロセスに自覚的でなければならない
- 自然科学を含む人間の文化的営みの在り方に根本的な問いを投げかける
- 新しいプロセスを創造的に生み出す
- 普遍性へ向かうプロセスは、本質的に想像的な多様性を許容する
「知の行為」とは
知りたいという好奇心を越え、一般化可能な問題が立ち現れた時、「人間とは何か」に収斂していく中で問題意識となり、知の行為がスタートする
問題構成の構造
a. 一般的な問い
b. 研究対象
c. 関連対象
d. 方法論
学問の行為による記述は、一定の知的な共同体にとっての真理に過ぎない
決してそれが無前提的な唯一の真理ではない
自明か否か、
正当か否か、
一定の文化の体系に因るものに過ぎず、絶対的な普遍性など主張できない
真理はそれを見なす主体との相関関係で捉える。主体の数だけ真理がある
文化や時代を超越して他者と会い、真理について対話する
interest
(利益、権利、関心、所有権)
- それぞれの主体が持っている固有の力、社会を動かす力
- 自身の interest に動機付けられた自己を他者の方へ開く事他者の interest との調停へ向かう事が重要
対話を導く原理
- 公正
- 創造性
2007年9月18日
——37%
チームや組織の目標達成に熱意をもっている人
——5人に1人
自分の目下の課題と、チームや組織の目標との間に明確な見通しを持てている人
——5人に1人
週末に振り返ってみて、自分が成し遂げた仕事に満足できる人
——5人に1人
主要な目標を達成する上で、組織が自分の能力をフルに発揮させてくれていると感じている人
——15%
強い信頼関係で結ばれた職場環境だと感じている人
——15%
異なる意見を尊重し、新しいよりよいアイデアを生むような開かれたコミュニケーションを組織が推賞していると感じている人
——17%
社員は組織において結果の責任を引き受けていると感じている人
——10%
組織を完全に信頼している人
——20%
組織内のほかのグループや部署との間に高い信頼性と高度な協力関係があると感じている人
——13%
「ハリスの世論調査」(xQサーベイによる)
サッカーでたとえれば、どちらが相手のゴールかわかっているのは11人中4人
勝負に関心があるのは2人
自分のポジションと役割がわかっているのは2人
11人中9人は、敵よりも自分のチームメイトに対抗意識を持っていることになる。
『第8の習慣』より
週4時間労働を達成するための重要な点の一つは、自分の仕事の進め方を回りに認知してもらうことである。私は受け取った電子メールに対して、以下の自動応答を返している。
これを実行すると、人生ががらっと変わり、もっと早くからやらなかったことを悔やむだろう。
電子メールを読むのは1日2回である必要はないが、ある程度溜まってから読む必要はある。
最悪の習慣は、朝一番に電子メールを読むことである。種々雑多なことで頭が乱されてしまう。朝は重要なことに集中し、昼までに一仕事終えるべきだ。
電子メールは効率を重視したコミュニケーション手段であり、そっけないものである。人間関係の維持・向上のためには電話を使うほうがよい。
ドナルド・E・クヌース教授も、電子メールを捨てた有名人の一人。
「1 週間に 4 時間しか働かない人の仕事術」 [hatena.ne.jp]
「電子メールへの対応」の項。すべての人に適用できるわけではないにせよ、示唆に富む。