2008年2月16日

シリコンバレーにあって日本にないもの。それは、若い世代の創造性や書かんな行動を刺激する「オプティミズムに支えられたビジョン」である。

全く新しい事象を前にして、いくつになっても前向きにそれをおもしろがり、積極的に未来志向で考え、何か挑戦したいと思う若い世代を明るく励ます。それがシリコンバレーの「大人の流儀」たるオプティミズムである。

「ウェブ進化論」p246
 
#私の目指す大人は、世代交代をみずから奨励するような大人。それが私の目指す大人。自分の時代で自分のもの、知恵、アイデア、そうしたものを存分に出し切って創造の限りを尽くした後、それを次世代に託す。取捨選択は任せる。前の世代から引き継いだものを、次の世代へ、次の世代というのはつまり、未来の世界への遺産として残すこと。私は音楽を通じて、それを学んだ。10代の時、60歳までに世界の頂点たるプレイヤーになることが目標だった。前の世代からバトンタッチされるものを、次の世代へ受け渡す。きっと、そうして1000年にわたって、芸術は生き続けていくだろう、音楽は生きながらえていくだろう、と信じていた。やめるその日までは。でも、そういうことなんだ。前向き、明るく、期待をこめて、希望を持つ。そうした成熟した大人になりたい。

(インターネットの普及、知の高速道路によって)多くの人が次から次へとあるレベルに到達する一方、世の中のニーズのレベルがそれに比例して上がらないとすれば、せっかくの高速道路の終点まで走って得た能力が、どんどんコモディティ(日用品)化してしまう可能性もある。

一気に高速道路の終点にたどりついたあとにどういう生き方をすべきなのか。特に若い世代は、そのことについて意識的でなければならない。

「ウェブ進化論」p216
 
#インターネットを「知の高速道路」と表現するかたは多い。私は「音声ガイダンスと照準を自動で合わせてくれるオート機能付き望遠鏡」と表現したい。肉眼では知り得なかった情報、肉眼で認識できる距離まで接近しなくては手に入らなかった情報が、足労をかけずとも見られるから。地球儀を手にして、世界の広大さと、世界の有限さを同時に知った子供のように、インターネットで知ったことを、どのように蓄積し、バイアスをかけるか。あるいは醸造するのかを考える。
 

たしかにネット世界は混沌としていて危険もいっぱいだ。それは事実である。しかしそういう事実を前にして、どうすればいいのか。

忌避と思考停止は何も生み出さないことを肝に銘ずるべきなのである。

「ウェブ進化論」p207
 
#思考停止では後がないことは、塩野七生氏も繰り返し言っていた。見たくないものを見ない、ではなく、現実にどう向き合うかを梅田望夫氏は述べている。
試行錯誤の末、最近は、ブログこそが自分にとっての究極の「知的生産の道具」かも知れないと感じ始めている。

  1. 時系列にカジュアルに記載でき要領に事実上限界がないこと、
  2. カテゴリー分類とキーワード検索ができること
  3. 手ぶらで動いても(自分のPCを持ち歩かなくとも)インターネットへアクセスさえあれば情報にたどりつけること
  4. 他者とその内容をシェアするのが容易であること
  5. 他者との間で知的生産の創発的発展が期待できること

さまざまな「知的生産の道具」と長いこと格闘してきた結果、
  1. 道具はシンプルなのがいい
  2. 道具にたいしては過度に期待するのではなく、その道具の特徴を理解してこちらからうまく歩み寄り、道具と自分がお互いに短所を補いあうようにしながら一体になってしっくりとやっていけるかどうか
が重要と考えるようになった。

ブログを「知的生産の道具」として使う場合の、私の方からの「歩み寄り方」とは何か。それは、
  • 対象となる情報源がネット上のものである場合
    1. リンクを貼る
    2. 出典も転記
    3. 最も重要な部分はコピペ
    4. 簡単な意見も合わせて書けばさらにいい
  • 対象となる情報源がネット上のものでない場合
    1. 出典を転記
    2. 最も重要な部分を筆写
    3. なぜ筆写したのかもきちんと書けば、筆写部分を「引用」扱いにできる。

「ウェブ進化論」p166-7

#ご明察! 筆写理由がなければ、自分がそこに何を感じ、将来の自分に何を残そうとしたのか、見えなくなってしまう。
そうだった。私のこの転記には、これがぬけていた。大いに恥じ入る。

eベイの創業者ピエール・オミディヤーは
「Web 2.0とは何か」と尋ねられ、「道具を人々の手に行き渡らせるんだ。皆が一緒に働いたり、共有したり、恊働したりできる道具を。「人々は善だ」という信念からはじめるんだ。そしてそれえらが結びついたものも必然的に善に違いない。そう、それで世界がかわるはずだ。Web 2.0 とはそういうことなんだ」
と答えている。
「ウェブ進化論」p122
開発者向けにプログラムしやすいデータを公開するサービスを「ウェブサービス」と呼び、開発者向け機能を「API(Application Program Interface)」と呼ぶ。
「ウェブ進化論」p117
「テクノロジーの重要性は正しく理解して手を打つけれどその本質はメディア企業」というのがヤフーの在り様で、たとえばニュース編集には、優秀な人間の視点が不可欠だと考える。何につけ「人間の介在」を、重要な付加価値創出の源泉だと認識している。
「ウェブ進化論」p93
小さな組織ユニットが壁を作って競争すると非効率になるから、ありとあらゆる情報を全員で共有する。
(中略)
「すごく頭のいい優秀な連中というのは皆、自分を管理できるのだ」という身もふたもない原則に支えられたプロセス。
「ウェブ進化論」p82
電子メールとは、情報の送り手が情報の受けてを選ぶ仕組みである。
つまり情報の隠蔽を基本とする従来型組織を支援する情報システムである。
一方、情報の公開・共有を原則とする新しい仕組みの場合、あらゆる情報が公開されていても、絶対に処理しなければならない自分宛の情報以外は、読んでも読まなくてもいい。
情報の送り手ではなく受け手が、必要な情報を選んで処理していく。
(中略)
「この人間にこの情報は開示しても構わない」と誰かが判断した情報だけが開示される環境かで、個々人が仕事をしていく。だから、貴重な情報を握ってコントロールすることが組織を生き抜く原則となる。よって部門間で、情報共有を目的とする会議が増えていく。
しかしモチベーションの高いメンバーだけで構成される小さな組織っで、すべtねお情報が共有されると、ものすごいスピードで物事が進み、それが大きなパワーを生む。仕事の生産性が著しく向上する。
「ウェブ進化論」p81
グーグルの「優秀な人間が、泥仕事を厭わず、自分で手を動かす」という企業文化は、情報発電所構築においてグーグルが競争優位を維持し続ける源泉の一つである。

「ウェブ進化論」p72
革命的変化に共通するパターンとして、最初の段階ではかなりのスケールでのタービュランス(乱気流、大荒れ、混乱、社会不安)が発生するとアーサー(ブライアン・アーサー、複雑系経済学のパイオニア)は買った。そして、タービュランスに続いて、メディアが書きたてるメディア・アテンションのフェーズに移行し、そして過剰投資が起き、バブル崩壊へと突き進む。(中略)人々はそれについて語らなくなる。でも面白いことに、それから一〇年・二〇年・三〇年という長い時間をかけて、「大規模な構築ステージ」に入っていく。

「ウェブ進化論」p43

わずかな金やわずかな時間をの断片といった無に近いものを、無限大に限りなく近い対象から、ゼロに限りなく近いコストで集積できたら何が起こるのか。ここに、インターネットの可能性の本質がある。
「ウェブ進化論」p20
情報は時間が経てば古くなるが、情報から得たケーススタディは積み重ねになる。
思想は上へ上がっていくんだけど、大衆というときはどんどん下に行く。
これ以上下がれないところまできたものを日本では「現実」とか「世間」と呼ぶ。
養老猛司
 
権力はもともとコントロール装置だけど、最近はちょっとでも力を持つと、誰もが誰かをコントロールしたがる。
池田清彦
 
AERA 2005.6.13
 

2008年2月2日

ノン・メモ取材について

その場の雰囲気がリラックスしてきたら、そこではじめてメモ帖を取り出すべきである。(p250)

ノン・メモ取材が推奨されるケース

  1. 自己顕示欲が強い相手
    • 政治家、女優、宗教家など、作話性が強い相手。
  2. トップシークレットを握る相手
    • 警戒心が前面に出て、喋ってよいことまで喋らなくなる。
  3. 素人を相手に取材する場合
    • ドギマギして支離滅裂になるか、紋切り型の応えしか帰ってこなくなる。

インタビューの目的は、相手から情報を引き出すことであり、自分の知識をひけらかすことではない。こちらもそのテーマに(強いことを)少しは心得ていることを示してやる必要はある。(=ときには反論も必要である)

インタビューの最後の二、三分間は最も大切なとき。インタビューイはようやく解放されるのをよろこぶあまり、つい口が軽くなるもの。
 ジョン・ガンサー


「インタビューのコツは、まず、相手の武装解除からはじめなければいけない」大宅壮一

「インタビューとは準備である。準備のないところに収穫はない」扇谷正造

「相手の名前や頭文字、職業、肩書きなどを当人に直接聞いてはならぬ」ジョン・ガンサー

 「文章の実習」p248
大宅は、与えられたテーマに対し、三本ないし四本の柱をたてる。それに(原稿用紙の)枚数の割り当てをする。大きな柱の下には、それぞれ三本か四本の小さな柱を立てる。大宅はそれを一覧表にして机の前に貼る。人間、一夜明ければ考えが変わるものである。(中略)構想が固まったら、(一覧表を確定させ)その間に資料をあさる。必要があれば関係者に会って談話を取ってくる。

「文章の実習」p207

「そこで君に一つ忠告しておきたいことがある。いままで新聞社の社会部や文化部の次長として、君は外部へ原稿を依頼する側にあったわけだが、これからは立場が逆になる。執筆者たちが締め切り日や枚数を守ってくれなくて困った経験をもっていると思うが、編集者にそんな心配をかけてはいけない。もの書きのプロだったら、最低限これだけは守りとおさなければいけない。もし締め切り日よりも早く書き上げることができたら、早く渡しても良い」

「それから安請け合いをしないことだね。忙しいときや自分でやれそうもないテーマを与えられたときは、ことわるほうがよい。それが編集者に対する思いやりというものだ」

大宅壮一が新聞社を辞して独立した大隈秀夫に贈った言葉

「文章の実習」p204
人物論のかき方はむつかしい。大宅壮一の名言がある。「からかい、やっつけるのはよいが、斬り捨てにしてはいけない」ということばである。大宅は具体的にはこう言った。

「人物論を書く場合、いちばんよいのは、七誉めて、三けなすことだ。八誉めて、二けなすとどうしてもちょうちん記事になってしまう。六誉めて四けなすと、読者のほうにいや味が先に立ち、何か意図するものがあって、人身攻撃をしているのではないかとさえ思われる。この間の調味料の配合がむつかしい。これができるようになったら、人物
論のライターとしては一人前だ」

大隈秀夫「文章の実習」P189
あるイギリスの文章学者が文章に上達するには次のようにすればよいとすすめている。——(中略) とにかくいい文章だなと思ったものをひろいだす。そうして、それの梗概をつくる。(中略)そうして一週間経ってその梗概を基にして、前の文章を復活してみる。(中略)むしろ梗概にもとづいて新しく文章を書いてみる位の気組みで文章を復活してみる。そうして、その結果できた文章を原文とくらべ、その出来栄えを検討するがよい。
「文章心理学入門」

ボキャブラリーをふやすためには、どうすればよいか。まずはたくさんの文章を読むことからはじまる。その場合、漫然と読み過ごしていては、なんの役にも立たない。ここでは記憶力が必要になってくる。とはいいながら、人間の記憶力には、限界がある。よいことば、きれいな表現に出あったら、すかさず、ノートに書き写すという努力を怠ってはならない。

他人に深い感銘を与える文章をものするためには、書きながら考え、考えながら書くという以外に方法はない。一字一字をゆるがせにしない書き方、文字どおり彫身鏤骨の作業の連続でなければいけない。

「文章の実習」大隈秀男 p94

2008年1月31日

論旨の展開をスムーズに読ませるには、ひとつの論旨で九〇〇~千文字程度が望ましい。ひとつの段落を百五、六十文字の間で生めた文章が一番読みやすい。

大隈秀夫 「文章の実習」

私は小説の文章を、そんなに重視してゐない。もっと率直に、いひたいことが通じる文章であればよろしい。それでたくさんだと考えてゐる。文章に味の出るのは、その人間に味が出ることであり、単なる文章のうまみは、いわばアクセサリーの程度である。

丹羽文雄 「小説作法」

人が上手に話しをしようと思ったならば、その場の空気に合わない談話は人に嫌われる。人が上手に話しをしようと思ったならば、その場の空気に調和したような話し方をしなければならぬ。

波多野完治 「文章心理学入門」より「レトリック」

形容詞は、読者のために使うのであって、筆者が自分のために、すなわち、自分の文章を飾るために使うべきではない、ということになる。読む人によりよく事態を分からせるために、印象を明確にするために使うのだから、この形容詞がうまく成功していれば、結果としてその文章は美しくもなり、ヴィヴィッドにもなるだろう。

入江得郎

2008年1月21日

この絵が見るのは人の背中ばかりだ。見る者に不快感を与える(ル・コルビジェ)
この絵は抽象的すぎる。画家は間違ったのだ(サルトル)
ゲルニカを評して。

私の絵を見て下さる方は、いかように解釈してくださって結構。――パブロ・ピカソ

『美の巨人たち』2008 年1月12日放送回

……後に解ることであるが、私が村にいた間、ピエェルは、所謂白化(アルベド)の作業に取り組んでいた。これは、錬金術の大作業中、黒化(ニグレド)と呼ばれる最初の過程に続く第二番目の過程である。この過程の作業を了え、更に赤化(ルベド)の過程に成功すれば、目指す賢者の石が得られるのである。因みに従来、白化と赤化との間には、黄化(キトリニタス)と呼ばれる今ひとつの過程が有るとされていたが、ピエェルはそれを認めなかった。これは、一方で伝統的な硫黄-水銀理論に固執していたのとは殊なり、経験に即し実証を尊ぶ、彼の今一方の態度の現れであった。

『日蝕』p65

2008年1月14日

されば言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、という働きをもっております。p3

思想を一定の型に入れてしまうという欠点があります。p4

言語は万能なものではなきこと、その働きは不自由であり、時には有害なものであることを、忘れてはならないのであります。p4

もっとも実用的に書くということが、即ち芸術的手腕を要するところなので、これがなかなか容易に出来る業ではないのであります、p14

実用文においても、こういう技巧があればあった方がよいのであります。

口語体の大いなる欠点は表現法の自由に釣られて長たらしくなり、放漫に陥りやすいことでありまして、p20

文章のコツ、即ち人に「分からせる」ように書く秘訣は、言葉や文字で表現できることと出出来ないことの限界を知り、その限界内にとどまることが第一 p20

口語文といえ、文章の音楽的効果と視覚的効果とを全然無視してよいはずはありません。なぜなら人に「分からせる」ためには、文字の形とか音の調子とか言うことも、あづかって力があるからであります。読者自身はあるいはそれらの関係を意識しないで読んでいるかもしれません。しかしながら、眼や耳からくる感覚的な快さが、いかに理解を助けるものであるかと言うことは、名文家は皆よく知っているのであります。p25

われわれは読者の眼と耳とに訴えるあらゆる要素を利用して、表現の不足を補って差し支えない。p26

即ち、真に「分からせるように」書くためには「記憶させるように」書くことが必要なのであります。

文章をつづる場合に、先ずその文句を実際に声に出して暗誦し、それがすらすらと言えるかどうかを試してみることが必要。p33

この読本で取り扱うのは、専門の学術的な文章ではなくて、われらが日常眼に触れるところの、一般的、実用的な文章でありますp65

文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない、だから、文法には囚われるな。全体、日本語には、西洋語にあるようなむづかしい文法と言うものはありません。p67

文法のためにおかれた煩瑣な言葉を省くことに努め、国文の持つ簡素な形式に還元するように心がけるのが、名文を書く秘訣なのであります。p67

感覚を研くにはどうすればよいのかと言うと、
 出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと が第一であります。次に
 実際に自分で作ってみること が第二であります。p86

文章の要素を

  1. 用語:分かりやすい語を選ぶこと。
  2. 調子:その文章における調子は、その人の精神の流動であり、リズム。簡潔さや流麗さ、冷静さなど。
  3. 文体:ある文章の書き方を、流れと見て、その流露感の方から論ずれば調子、流れを一つの状態と見れば、文体。
  4. 体裁:文字の視覚的要素。文章の視覚的並びに音楽的効果としてのみ取り扱う。
  5. 品格:饒舌を慎むこと、言葉使いを粗略にせぬこと、敬語や尊称を疎かにせぬこと。それにふさわしい精神を涵養することが第一。
  6. 含蓄:あまりはっきりとさせようとせぬこと、意味のつながりに間隙を置くこと。

と、こう六つに分けることにいたします。p98

『文章読本』谷崎潤一郎 初版昭和35年

2008年1月13日

二つの叙事詩(イリアス、オデュッセイア)には、神々が繁く登場する。神々の物語と言っても過言ではあるまい。
 
があえて私見を述べれば、やはり、これは人間の物語なのではあるまいか。出来事の粗筋を決定するのは、ほとんどの場合、神々の意志であり、その点では人間の介入する余地はないのだが、それが古代ギリシア人の見た神々の姿だったろう。
 
まったくの話、神々は気紛れで、なにを考え、なにを意図しているのかわからない。恵みを垂れてくれたかと思えば、突然、罰を与えたりする。なんの理由もないのに……。少なくとも人間には、なんの理由もないように思えるのに……。
 
——しかし、これだけの罰を受ける以上、なにか理由があるにちがいない——
 
人間たちは悩み、問いかけ、祈り、そして努力をする。計り知れない神の意志に翻弄されながら、どのようにして自分んお、人間としての倫理を確立するか。避けることのできない死をどう迎えるか。二つの叙事詩には、神々の気紛れにもまれながら葛藤する人間のドラマが随所に見えてきて、それゆえに、これは人間の物語だと思うことが私にはできるのである。現代の私たちも、このように神を見ようとすれば、見えてくるだろう。
 
『ホメロスを楽しむために』p283
冥府のシシュポスの巨石の罰

シシュポスは神をないがしろにしたかどで永遠の罰を受けている。

巨岩を山の頂上へ押し上げていく、いよいよ頂上と思ったとたん強い力押し返してきて、巨岩は下へ落ちていく。それをまた押し上げる。その繰り返し。
 
日本の賽の河原の伝承に似ている。
ギリシアの伝承は雄大であり、日本国の伝承は哀れである。 
 
『ホメロスを楽しむために』p215
トロイアの環

キュプリア(キプロス物語) 戦争の原因と開戦の経緯が描かれる
イリアス アキレウスとアガメムノンの確執と和解、ヘクトルの戦死が描かれる アイティオピス(エチオピア王物語) ペンテシレイア率いるアマゾン軍が、次いでエチオピア王メムノンの軍がトロイアに加勢するがアキレウスに討たれる。そしてアキレウスの死、アキレウスの武具をめぐってオデュッセウスと大アイアスが争った事などが記されている。
小イリアス (トロイア小譚)オデュセウスと大アイアすの争いで校舎が敗れて狂気に陥ることを描く。
イリオスの陥落(トロイア落城)木馬の計略、木馬を城内に搬入することに反対したラオコーンやカッサンドラの予言が描かれ、トロイアが壊滅する様子が描かれる。
帰国物語
オデュッセイア
テレゴニア

http://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle

Title Length (books) Most common attribution Content
Cypria 11 Stasinus the events leading up to the Trojan War and the first nine years of the conflict, especially the Judgement of Paris
Iliad 24 Homer Achilleus' rage against first king Agamemnon and then the Trojan prince Hector, ending with Achilleus killing Hector in revenge for the death of Patroclus
Aethiopis 5 Arctinus the arrival of the Trojan allies, Penthesileia the Amazon and Memnon; their deaths at Achilleus' hands in revenge for the death of Antilochus; Achilleus' own death
Little Iliad 4 Lesches events after Achilles' death, including the building of the Trojan Horse
Iliou persis ("Sack of Troy") 2 Arctinus the destruction of Troy by the Greeks
Nostoi ("returns") 5 Agias or Eumelus the return home of the Greek force and the events contingent upon their arrival, concluding with the returns of Agamemnon and Menelaus
Odyssey 24 Homer the end of Odysseus' voyage home and his vengeance on his wife Penelope's suitors, who have devoured his property in his absence
Telegony 2 Eugammon Odysseus' voyage to Thesprotia and return to Ithaca, and death at the hands of an illegitimate son Telegonus
「誉れ高い総大将アガメムノンよ、あなたは大神ゼウスから大笏を賜った人だ。絶大な権力を委ねられている。そうであればこそ、自分の考えを述べるのと同じように、他人の意見に耳を傾けねばなるまい。何人であれ、意見だけは言わせてやれ。しかし、決定権はあなたのものだ」
 
ここで付言しておけば、古代ギリシア人にとって、ホメロスの歌は娯楽である以上に、道徳教育でもあった、ということである。<イリアス>や<オデュッセイア>を聞きながら、
 ――なるほど。アガメムノンはそう考えたのかーー
とかあるいは、
 ――オレもやっぱりオデュッセウスのように生きなきゃいかんなーー
とか、伝説上の英雄たちの原稿に思いを馳せ、それを生きていく糧としていたのである。
  阿刀田高『ホメロスを楽しむために』p76

2008年1月6日

コンピュータのハードやソフトのメーカーまでが製品にマニュアルをつけて出荷するのは、邪道としか思えない。機械の使い方を教える最高のインストラクターは機械自身なのだ。

『ビーイング・デジタル』p296
貧しい人間には魚ではなく釣竿を与えよ(サウジアラビアのヤマニ石油相)1981年 ウィーンで開催されたOPEC総会での演説


ヤマニ氏は、未開の人間と無教養な人間の違いを知っているかと問いかけた。(中略)
未開人はちっとも無教養ではない。緊密に織り上げられた社会に支えられながら、未開人はわれわれとまったく違う手段で知識を世代から世代へと伝えている。これに対して、無教養な人間というのは現代社会の産物だ。この社会の網の目はもつれてしまっていて、人を支える力がない。
この偉大な族長(シャイフ)の見方は、パパートの「コンストラクティヴィズム(構成的方法)」の考えを未開社会にあてはめたもにほかならない。

『ビーイング・デジタル』p280

電子メールは一つのライフスタイルであり、われわれの仕事の仕方や考え方に大きな影響を及ぼす。特に顕著に現れるのは、仕事と遊びのリズムが変わってくることだ。週に五日、九時からから五時まで働き、年に二週間の休暇をとるというスタイルは、ビジネス・ライフの主流ではなくなりかけている。(中略)
 
もちろん、これに異議を唱える人もいる。特にヨーロッパや日本では多いだろう。仕事と自分との間に距離を置きたい人の権利を無視するつもりは毛頭ない。ただ、それとは逆に自分をいつも「接続された(ワイアード)」状態にしておきたい人間もいるのだ。単純に、どちらをとるかというだけのことである。わたし個人は、日曜に電子メールに返事を書くことになったとしても、月曜に少しでも長くパジャマを着ていられる方がいいと思っている。

『ビーイング・デジタル』p265
ファックスは日本のお家芸だが、そうなったのは(ビデオデッキの場合のように)単に日本人がほかのどの国民よりも規格化して物をつくる能力に優れていたからではない。日本の文化や言語や商習慣において、イメージ志向が強いことも理由の一つだ。(中略)

漢字の象形文字的な正確から、ファックスの利用は自然な流れだった。当時はコンピュータで読める日本語の文書はほとんどなかったから、ファックスを使う不利益もあまりなかったのだ。しかし記号的性格の強い英語のような言語では、コンピュータの可読性の点からいってファックスは大失敗だった。(中略)

ファックスモデムのついたコンピュータがあれば、途中で紙を使う段階は省略できる。(中略)

ファックスと電子メールのアイデアは、どちらも一〇〇年ほど前からすでにあった。ジュール・ヴェルヌが一八六三年に書いた『二十世紀のパリ』という小説の原稿が一九九四年に発見され、刊行された。ヴェルヌはその中でこう書いている。「写真電送を使えば、あらゆる文章や署名や挿絵を遠くへ送ることができる。(二万キロメートルも)離れたところから契約書に署名できるのだ。どの家庭も電線でつながっている」

  『ビーイング・デジタル』p258
誰でも複雑な現象を眼にすると、つい、それをコントロールするものの存在を思い浮かべてしまう。たとえばV字になって飛ぶ鳥の群れを見ると、先頭の鳥が主導権を握っていて、残りはただ従っているのだと思うのが普通だろう。しかし、事実はそうではない。秩序正しい隊形は、単純な調和規則に従って敏感に反応するプロセッサの、個々の振る舞いの総和として現れるだけで、指揮をとる個体がいるわけではないのだ。

『ビーイング・デジタル』p220
 
ばらばらに存在する部分どうしが活発に通信を行う形の方が柔軟性があり、生き延びる見込みも大きい。より長く存続し、時間とともに進化していくのは分散構造の方なのだ。
 
同 p221

2008年1月3日

デジタル化によって、メディアがビットを人々に「押し付ける」のではなくて、ユーザーがビットを「引き出す」ことができるようになる。
 
※ビットはここでは「情報」を指す。それは「コンテンツ」であり、コンテンツを構成する「データ」でもある。
 
『ビーイング・デジタル』p122
コンピュータは利用面でも開発面でも、創造的な表現手段となりつつある
 
TV
開発の動機は技術的な要請。
出来上がった技術は異質な知的サブカルチャーを多様な価値観を持った人々に完成品として手渡された。

写真
写真は写真家によって発明された。
写真技術を完成させた人々は自分が表現するのに必要だからそうした。
芸術上の必要に合わせて、テクニックを洗練させた。
作家が自分の表現したい内容に合わせて形式を創造したように。

コンピュータ
PCはコンピュータ科学を純粋に技術的な動機付けから引き離し、写真に似た形で進化させようとしている。
社会のあらゆる階層の豊かな創造力を持った個人の手に直接つながることにより、利用面でも開発面でも創造的な表現手段となりつつあるのだ。
 
『ビーイング・デジタル』p119
 



いまや、コンピュータとテレコミュニケーションにおける大きな変化は、アプリケーションによって引き起こされるようになってきた。
 
つまり物質に関する基礎科学より、人間が基本的に何を必要としているかが重要になってきたのだ。
 
『ビーイング・デジタル』p110
デジタルの世界において、メディアはメッセージではない。メッセージを具体化したものがメディアなのだ。
 
『ビーイング・デジタル』p105
 
デジタル・コンバージェンス
 
さまざまなメディアがデジタル技術によって一体化していくこと
 
『ビーイング・デジタル』p81
レス・イズ・モア
これは建築家のミース・ファン・デル・ローエの言葉である。(中略)新しいメディアを手にした初心者にとって、この言葉は常に正しい。
「切りつめたものほど豊かだ(レス・イズ・モア)」ということが、初心者には理解できないのである。

『ビーイング・デジタル』p46
ビットはたやすく混じり合う。混合したビットを混じり合ったままでも、また別々にしても扱えるし、繰り返し使うこともできる。音声、ビデオ映像、データが組み合わさったものをマルチメディアと呼ぶ、。複雑そうに聞こえるが、これはビットが混じり合ったものに他ならない。
 
『ビーイング・デジタル』p31
 
ビットはビットについての情報を教えてくれる
(ヘッダい、スラグ(見出し)、キーワード、インデックス……)

2007年12月31日

桐木村の本物の正山小種はこんなに近い武夷山の中でも知れ渡っていなかった。いや、かつてはこれしかなくて、すべての人が龍眼の香りの正山小種を知っていて、飲んでいたのだ。
 
ロンドンでアールグレイの中国茶が作られ、松で燻煙した正山小種がラプサン・スーチョンと呼ばれ、二種類の中国紅茶が残された。
 
しかし、二二代目江さんはアールグレイという中国茶を知らず、九代目のサム・トワイニング氏も一〇代目のスティーブン・トワイニング氏も、この本物の正山小種を知らない。
 
『二人の紅茶王』P233
 
母は私が困難に際しても毅然としていること、そして人生に理想を持つ事を教えた。正直と勇気、嘘をつかないというのが母の人生哲学だった。彼女は私の心にこの三つの必要不可欠なものを焼きつけた。
 
私は盲目的には母の知恵と確実な洞察力を信頼した。ほんの少しでも母の心に苦しみを与えることをするくらいなら、自分の右手を切り落としたいくらいだと思っていた。彼女は自分にとって真実、正直、善良、その他すべての象徴であった。
 
トーマス・リプトン 
 
『二人の紅茶王』P91
生産者自身が健康で幸せでなければ、消費者へ豊かなものは届けられない。
トーマスはいつもそう思っていたに違いない。
 
『二人の紅茶王』P104
 
トーマスはトーマス・リプトン。リプトン紅茶の創業者にして、大衆紅茶をイギリスのみならず、世界に定着させた世紀の商人。
両親はアイルランドの大飢饉から逃れ、イングランドのグラスゴーに移住した難民。小さな雑貨商を営み、その経営哲学は、一人息子のトーマスへ引き継がれた。
 
ほぼ無一文に近い状態からのスタート。丁稚奉公をしながらビジネスの才を延ばした天才的商人、トーマス・リプトン。
常にイギリス上流階級に対し、皮肉的な視線を送りながらも、童心を忘れず、生産者を搾取もしなかった。
 
王室の経済的な難題の解決にも陰で助力。その功績は王室にも認められ、最終的には准男爵の爵位まで得るに至る。


「本を学ぶ」と「本で学ぶ」
 
「本を学ぶ」
本を読み取り、書かれている事を理解し、そこから吸収すべきものがあるかどうかを判断する。
すなわち、得られるものは学問的内容に関する体系的知識。
 
「本で学ぶ」
その本がなぜ書かれなければならなかったのか、を問いかける。
すなわち、ある学問の系統の中で、その本が占める位置と意義について考えてみる。また、教科書を書く事は学問的な問いに挑む事でもある。
 
『系統樹思考の世界』p212 

本を学び、そして本で学ぶ。
これによって知識の獲得に始まる学問的思索の仕方、背景となる世界への道が開ける。
 
 

歴史家は、読者を感動させ納得させるためにエナルゲイア(生き生きと物語る技法)を用いつつ、自分の提示することを真実として通用させるのだ、というのが古典古代の考え方であった。
 
歴史とレトリックの近親性に依拠していた古いパラダイムを剥奪したのであった。エナルゲイアに証拠(エヴィデンス)が取って変わったのである。
 
カルロ・ギンズブルグ『歴史を逆なでに読む』より
三中信宏『系統樹思考の世界』p208

2007年12月26日

推類様式 演繹、帰納、アブダクション(仮説的推論)
 
演繹、帰納:真偽を論証
アブダクション:良否を検証
 
deduction(演繹)
前提となる主張から、別の主張を導く
 
induction(帰納)
観察されてデータ(蓄積された情報)を基に、真である普遍法則が導き出される。
→帰納ははたして有効な科学的推論か?
  • データは完全無欠ではない
  • 背景仮定から完全に中立かどうかは不明
  • データの集積の延長線上に見えて来る普遍法則とは?
 
abduction(仮説的推論)
「結果から原因へとさかのぼっていく推理」
「裁量の説明を発見する」推論方式
 
アブダクションの命名者はチャールズ・S・パース 19世紀の哲学者で記号論の創始者。
 
アブダクションの特徴
  • 真偽は問はない
  • 観察されたデータに基づいて「より良い説明」を与えてくれる推論を相互比較する
  • 対立理論との検証


系統樹思考の世界 -p65
 

2007年12月24日


Epicureanism  エピキュリアニズム 快楽主義


Epicurus エピクロスの説いた倫理

人生の目的は「幸福」である。

「快楽こそが善であり、人生の目的である」

快楽とは?

α 自然であり、かつ必要である欲求

 e.g. 友情、健康、食事、衣服、住居

β 自然ではあるが、不必要ともいえる欲求

 e.g. 豪華な食事、贅沢な生活。過ぎたるは及ばざるが如し

γ 自然ではなく、なおかつ必要でもない欲求

 e.g. 名声、権力

「自然で必要な欲求」のみの追及と、苦痛や恐怖から自由な生活こそ、良き生活である。「平穏な生活」。

それこそが「平静な心(アタラクシア)」である。 
神道と仏教
 

神は在るもの 自然の中の神威、神性。存在論。
仏は成るもの 人間として生きる上での営み。実践論。

2 
神は来るもの 「祭り」=「待つ」。神を迎えること。自然の神聖の到来を待つもの。
仏は往くもの 悟ること、真理へ向かって往くこと、道を進むこと。
 

神は立つもの 立ち現れるもの。立ってやって来る、そして去っていくもの。「祟り」=「立ちあり」。
仏は座るもの 座して瞑想し、悟るもの。座禅すること、涅槃寂静。

神を数える際の単位は「柱」。「座」は仏教の影響。もともと神は鎮座するものではない。
 
祭りと祈り
  • 祭り
    • 共同体が担うもの。集団の結びつきによるもの。
  • 祈り
    • 個人の心と行為の中に現れるもの。
 

2007年12月23日

変化を伴う由来 Descent with modification
ダーウィンが「種の起原」で示した「進化」の同義語 -p17
 
進化的思考 Evolutionary thinking
進化的にものを考えることで、それまで説明のつかなかったことが一幅の絵のように整然とした論になる。 -p18
 
系統樹思考
--何か相互に由来関係があるのではないか、という問いかけ -p24
 
多様性を「系譜」という観点で理解しようとすること -p37
 
科学的であるかどうかは、個々の科学研究分野の特性や制約の中で、いかにして仮説や主張を経験的にテストできるかどうかに主眼がおかれるべき。 -p45
 
普遍法則を求める科学が「タイプ」について論議してきたのに対し、歴史や進化を論じる科学は「トークン」に関する考察をしていると言ってもかまわない -p75
 
分類は絶対的なものではなく、ある採用された分類基準(類似性の尺度)にしたがってグループ分けをしているに過ぎない。 -p
 
系統樹を描くということは、多様な対象物に関する鳥瞰図を与えると同時に(略)相互比較のための足場を組み立て、そのような多様性が生じた因果に関する推類を可能にし、さらには対象物に関するさまざまな地検を体系化し、整理するという役割も担っている。 -p164
 
「系統樹の世界」
 

2007年12月2日

開発したのはニューヨーク大学クーラント数理科学研究所のジェフ・ハン研究員(左)。

タッチ、ジェスチャー、それに圧力の程度まで読み分けてくれるUI

http://www.fastcompany.com/multimedia/video/player.html?bctid=769654555

http://www.gizmodo.jp/2007/01/post_787.html

2007年11月25日

スイス、永世中立国の姿とは
 
キーワードは「国民皆兵制」
  • 一家に一台の自動小銃
  • 一村にひとつの射撃訓練場
  • 一年に2週間の兵役
国民は全員、国防軍の軍人でもある。
 
歴史的背景
 
ロマンシュ語族の独立戦争
  • 連邦制
  • フランス語、ドイツ語、イタリア語による4つの公用語
 
スイス傭兵の時代
  • 兵士の育成と派遣のビジネス
 
ナポレオンによる(支配) 征服
とばっちり敗戦
ナポレオンの百日天下では連合側につく
オーストリアから見れば「自分の味方でなければ、敵と組んでいるに違いない」と思われる立場
 
中立であることのリスク
 
中立にはリスクがともなう。
中立であることは、周囲のすべてが敵であることと、同義。
いじめを無視して放置することもいじめであるという理論に近い。
 
国際連合との付き合い方
  • 軍事行動への不参加
国際連合との付き合い方
  • 不参加
 
中立を守ることは、複数の正義の両方と戦わなければならない
 
  • アルプスの要塞に籠城してナチスとの戦闘を回避したことは、連合国側からの領空侵犯と誤爆を受けることを招いた
 
 

2007年11月20日

フランスには順応主義を忌避するその国民性とあいまって、「問題に行き詰ったときには事態を揺り動かすことで新しい流れをつくる」という精神が脈々と受け継がれているように思える。

 

「エリゼ宮の食卓」P231

フランスが経済力では日本の後塵を拝しながら、国際政治では日本と比較にならないほどの発言力を保持している理由は3つある。

  1. 国連安全保障理事会5カ国の一角であること
  2. 核兵器保有国であること
  3. 首脳外交を軸とした外交力

フランス大統領は国防と外交を専管事項とし、内政を担当する首相と明確に棲み分けている。

このため大統領は内政に煩わされることなく、積極的な首脳外交を展開し、「フランスの考えと存在を、国際社会により広く知らしめる」ことを可能にしているのである。

ヨーロッパの宮廷外交で外交術を磨いてきた伝統もあるが、何かあるすぐさま内政に足をとられる日本の首相と比べ、外交力で差が出るのは明らかだ。

 

「エリゼ宮の食卓」p221

2007年11月19日

君は君なりに私の同類ではないのか? 何もかも失敗してしまったので恥じているのか? かまうことはない、ちょうど私も同じ目に逢っているのだ。私はひとりだと盛んに吠えて気を紛らす。来なさい。二匹でいる方が楽しい。
 
私は鼻先が入るくらいの穴を掘り、土地だけが聞いてくれるよう、私の横に居るもの、私の上にいるものには聞かれないよう、鼻先を突っ込んだまま歌い、朗唱したのである。
 
「ある老犬の回想」より 「カフカ短編集」P307

2007年11月15日

整理には、焦点が必要である。
目標に向かってすべてのものを統合する。
その方向がはっきりしていないと、まとめをすることができない。
 
収斂的思考は思考の半分に過ぎない。しかも受動的半分である。
創造的半分は拡散的思考、つまり誤解を恐れず、タンジェントの方向に脱出しようとするエネルギーによって生み出される思考である。
これまでにこれが充分認識されないできたのが、われわれの社会の不幸であった。
本当の独創、創造ということが、“変人”でないとできにくいというのは悲しい。
 
自分の新しい解釈を創り出して行くのが、拡散的読書である。当然、筆者の意図とも衝突するであろうが、そんなことにはひるまない。
収斂派からは、誤読、誤読だと非難される。しかし、読みにおいて拡散的作用は表現の生命を不朽にする絶対条件であることも忘れてはなるまい。
古典は拡散的読みによって形成されるからである。筆者の意図がそのままそっくり認められて古典になった作品、文章はひとつも存在しないことはすでにのべたとおりである。

「思考の整理学」P208
長く説明しなければならないほど、考えが未整理なのである。
 
テーマはシングルセンテンスで表現されるものでなくてはならない。
 
「思考の整理学」P145
いい空気のところでないと、すぐれたアイディアを得ることは難しい。

考える場所の雰囲気が大切である。

考えごとをしていて、うまく行かないときに、くよくよしているのがいちばんよくない。
 
アイディアの芽は小さく、弱い。 へこんでいては、思想はまとまらない。

「思考の整理学」P150

2007年11月14日

——神に願いたまえ、きみが常に勝者の側にあることを。なぜなら、勝者の側にあれば、きみにはなんの功績がなくてもむくわれるものだが、反対に敗者の側に立ってしまうと、いかに功績があっても避難されないではすまないからである。——
 
 苦笑するしかないが、これが現実なのだろう。
 
——宗教を敵にまわしてはならない。また、神と関係することすべては、敵にまわさないように心がけるべきである。なぜなら、この対象たるや、馬鹿者どもの頭に、あまりにも協力な影響力をもっているからである。——
 
 ごもっとも!
 
——権力と名誉は、誰もが求めるものである。なぜなら、普通は華やかな面のみが眼につくからで、権力や名誉がもたらす苦労や不快な面はかくれているからだ。しかし、もしも両面とも陽の下に明らかになるとすれば、権力や名誉を求める理由は、ひとつを残せば失われてしまうであろう。そのひとつというのは敬意を払われれば払われるだけ、人は、神に近い存在となったように思えることである。
 男に生まれて、誰が神に似ることを望まない者がいようか。——
 
『覚え書』(リコルディ) グイッチャルディーニが家族のために書き残した
 
「わが友マキアヴェッリ」P527
 
創り出すと言う行為は、幸福であるだけでもできないものだが、不幸であるからといってできるというものでもないからである。
 
 
マキアヴェッリの研究者たちが、この時代のマキアヴェッリを不幸と断じるのに、私はどうしても賛同することができない。たしかに、彼は不幸ではあった。だが、それは、不幸であるとtおもに、幸福であり、幸福であるとともに不幸である、というたぐいの不幸ではなかったか、と私には思えてならない。だからこそ、創作が可能であったのだ、と。創り出すと言う行為は、幸福であるだけでもできないものだが、不幸であるからといってできるというものでもないからである。しかし、この種の幸福は、実を追求することが本来の任務である学者たちには、なかなか分かってもらえないものかもしれない。

「わが友マキアヴェッリ」P460
 


往復書簡としての条件

往復書簡が価値をもつには、いくつかの条件が満たされる必要がある。
  1. 書き手二人ともが、手紙を介した対話であろうと思うこと。それがために、書かれる内容は、送られてきた相手の手紙の内容を受けたものでなくてはならない。双方とも勝手に思うことを書きあっているだけでは、往復書簡にはなり得ないのである。
  2. 書き手は双方とも、率直に想いをはき出す性質の持主である必要がある。社会的な地位に関係なく、人間対人間のぶつかりあいが、対話なのだから。
  3. 共通の関心ごとをもつということである。
  4. 双方ともが、自らの意とすることを格別の苦労もせずに伝えることのできる、文章力の持主であることだろう。手紙一本化久野に気が重くなるようでは、往復書簡のパートナーにはなれない。マキアヴェッリはいうまでもないが、フランチェスコ・ヴェットーリのほうも、後年歴史物などものしたくらいだから、なかなかの文章力の持主であった。
  5. この人とならば話せる、と思う者動詞であることだろう。時間的精神的余裕の有無は、さほどの問題ではあに。偶然にしても、この時期のマキアヴェッリもヴェットーリも相当に暇な身分だったが、忙しさでは人一倍であったのはずのユリウス・カエサルこそ、往復書簡のはじめ手であったとされている。カエサルの場合は口述筆記をさせていたということだが、要は、手紙を通じて対話をしてみたいと思うか思わないかの問題でしかない。

「わが友マキアヴェッリ」P428

秀才の悲劇は、天才の偉大さをわかってしまうところにある。凡才ならば理解できないために幸福でいられるのに、神は、凡才よりは高い才能を与えた秀才には、それを許さなかったのであろう。「神が愛したもうた者(アマデウス)」の偉大さは理解できても、自分にはそれを与えられなかったということを悟った者は、どのような気持ちになるものであろう。
 
「わが友マキアヴェッリ」P541

聴いたことも、考え、そしてまとめることをしないかぎり、シェンツァ(サイエンス)とはならないから、わたしも、彼らとの対話を、『君主論』と題した小論文にまとめてみることにした。そこでは、わたしは、でっきるかぎりこの主題を追求し、分析しようと試みている。
 
ヴェットーリへのマキアヴェッリの手紙、君主論誕生の経緯

「わが友マキアヴェッリ」P446
歴史は、思想なくしては書けない。史観がなければ、客観的な記録に留まってしまう。
 
「わが友マキアヴェッリ」P538
 

一度だけマキアヴェッリも「大使」になったことがある。モナコの領主グリマルディの許に派遣されたときだった。1511年の5月の話で、このときだけマキアヴェッリは、最初にして唯一度、Ambasciatore comunnitatis Fiorencie の肩書きで送られたのである。フィレンツェ共和国大使、というわけだ。

「わが友マキアヴェッリ」P356
六ヵ月前に二十ドゥカートを支払うのに同意しなかった人々は、六ヵ月後に二百ドゥカートを奪われることになる。
 
わたしは、はっきりとと言いたい。運は、制度を変える勇気を持たない者には、その裁定を変えようとはしないし、天も自ら破滅したいと思う者は、助けようとはしないし、助けられるものでもないのである。
 
若干の序論と考慮すべき事情を述べながらの、資金準備についての提言 マキアヴェッリ
 
「わが友マキアヴェッリ」P336
しかし、なによりも、あのクーポラの下には、独自でありながらも普遍性をそなえる文明をつくりだす都市ならば、必ず持っている「毒」、創造する者にとっては、多量に飲めば自壊するしかないが、適量ならば、これ以上の刺激剤はないう、毒もあったのである。

(ルネサンス期のフィレンツェについて)
「わが友マキアヴェッリ」P33

2007年11月13日

ルネサンスとは何であったのか
 
創造の本質、人間の欲求である「見たい、知りたい、分かりたい」が爆発した精神運動。
 
創造への結晶。考えるだけでは不十分、表現することで初めて理解となる。
 
ルネサンスに至るまでの土壌

  • 聖フランチェスコ
    • 商人の子、大学の出ではない
    • 日常語であったイタリア語でキリスト教の教えを説いた。
    • ラテン語は民衆とは乖離。イエスの教えを民衆が自らの頭で考える、新しい聖書の解釈。
    • 選択の自由。非難、排撃をしない。
    • 修道院に寄進すれば救済があるとしたことは、商人に受け入れられた。
    • 貧しさを尊ぶ思想

  • フリードリヒ二世
    • 神聖ローマ帝国皇帝。
    • 皇帝だが高等教育を受けておらず、キリスト教社会では異分子的存在。
    • 大学を出ていないが、ギリシア語、ラテン語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、アラビア語を読み書き話せた。
    • 数学、幾何学、天文学に強い関心をもっていた。
 
フランチェスコは、
  • 聖書と向き合う
  • 虚心とともに読解
  • 自然と向き合う
  • 内なる声を聴こうとした
 
フリードリヒ二世は
  • 好奇心おもむくままに読書した
  • アラブ人たちを臣下におき、科学の教授を受け、実地教育を受けた
 
 
宗教に対する3つの態度

フリードリヒ二世の時代から800年が過ぎてもなお、現代のヨーロッパでは……
  • ateo
    • 神の存在を信じない。無神論者、無信仰者。
  • credente
    • 信仰者。
    • 特にpraticante は教義に忠実、ミサには必ず通うような人々。
  • laico
    • 神の存在を否定はしないが、宗教の関与すべき分野とそうでない分野を明確に区別する人々。
の人々がいる。
 
★ルネサンス期のヨーロッパにおいては、マキアヴェッリも、ガリレオ・ガリレイも、フリードリヒ二世も laico であった。
いわば、ルネサンスは laico たちの精神活動であった。
 
 
フィレンツェ人気質
 
我が身まで傷付けかねないほどの強烈な批判精神。
芸術家の工房は一階にあり、同時に店でもあったので、自由に出入りできた。
 ↓
誰でも自由に批評を言っては立ち去っていった。
購入する気のある人も、ない人も。
 ↓
芸術家はこの手の忠告に貪欲。
批判者と言い争った後で、こっそり作品を補正していたのだろう。
 ↓
当時のフィレンツェは絵画、彫刻に限らず、美を追求するならば何でも引き受けていた。絵も、彫刻も、金工も。
 
★フィレンツェの工房では、見習いはあらゆる作業に従事した。ジャンルを専任するのは、出世後の事だった。
 
 
出版の自由
 
言論の自由が認められていたヴェネツィアで、出版のルネサンスがおこった。
 
★出版によって、知識は協会と修道院から市井へと広がった
 
グーテンベルク
  • 1455年 「42行聖書」の印刷
 
アルド・マヌッツィオ アルド出版社を創立
  • 1490年 ヴェネツィアに渡る
  • 1494年 「ギリシア詩集」刊行
  • 1498年 「アリストテレス全集」刊行
  • ギリシア、古代ローマの「古典」のほか、エラスムス等「現代」作品も刊行した

1495-97年の間、全ヨーロッパで1821点の書物が刊行された。
その内、447点がヴェネツィアで刊行された。(2位のパリは181点) 
 
■ アルドが発明したもの
  1. イタリック体(書体)
    • 読みやすく、ページ内の文字数を多くすることができた
  2. 文庫
    • 紙を8回折るとこから、「オッターヴォ」(八つ折り)と呼ばれた
    • 安価さと小ささで、一般と学生にヒット。普及の原動力となった
 
芸術の振興は教養のある経済人による援助が不可欠。
フィレンツェでは、コシモ・デ・メディチ、ピエロ、ロレンツォの三代がそれにあたる。 
 
■メセナの語源
 古代ローマの皇帝ティベリウスの補佐であったマエケナスが詩人のヴェルギリウスやホラティウスを援助したことに由来。
 
 
アカデミア・プラトニカの終焉
 
一流学者たちの解散。
その理由は、観念論は別の観念で向かってこられると、意外と弱いもの。
ヨーロッパ屈指の学術機関だったのに、ロレンツォの死後、2年で解散。
 
 
哲学と科学
 
誰かがごく一般的な疑問をもった時に発生する「好奇心」。これが科学と哲学の種。
 
ギリシア文明はわずか200年間のあいだに華やかな知性の爆発があった。
  • 芸術、科学、文学、哲学
  • すさまじい量の創作が起こった
  • ヨーロッパ文明の基礎となった。
 
★すべての事柄に「なぜ」を突き付ける
そして、自分なりの回答を常に探す(仮説、想定)、そして見つける事
 
 
創作者に不可欠な要素
 
  • 謙虚さ
  • 誰にも負けないという傲慢不遜
 
一見矛盾するこの要素が成立するのが創作者・クリエイターの条件
常人であれば、その矛盾が精神のハレーションを起こしてしまう。精神の不安定化を招く。
 
創作は「なぜ」に対する、自分なりの回答でもある。
表現は伝達の手段であると同時に、頭の中の考えを明解にする効果もある。
 
 
ローマ市の略記号
 
「SPQR」 Senatus Populus Que Romanus 「元老院ならびにローマ市民」
現代ローマ人は皮肉で Sono porci questi romani 「ローマ市民は豚である」と表現さえする。
  
どこの国よりも国際的、コスモポリタン「ローマ」
 
 
反動宗教改革と異端審問の時代

異端審問官の「実績」をみよ。
動機のただしさを確信している者の行う悪こそ凄まじい。
 
16世紀半ば、異端審問官の手の及ばない知は、ヴェネツィアかアムステルダムのみだった。
 ヴェネツィアでは
  • 異端審問が開かれなかったわけではない。設置は認められていた
  • ただし、共和国側の人間(俗人)の出席が義務と定められた
  • 会則には、委員がひとりでも退席したら、流会になると決めた
すなわち、ヴェネツィアは、反動宗教改革に反対はしなかった。単純に「流した」のである
 
 
大航海時代
 
大航海時代における重要人物

<氏名/出身地/出資者>
  • バルトロメオ・ディアス ■ポルトガル ■ポルトガル王
  • クリストフォロ・コロンブス ■ジェノヴァ ■スペイン女王
  • ヴァスコ・ダ・ガマ ■ポルトガル ■ポルトガル王
  • アメリゴ・ヴェスプッチ ■フィレンツェ ■スペイン王
  • フェルディナンド・マゼラン ■ポルトガル ■スペイン王
  • ジョヴァンニ・ダ・ヴェランツァーノ ■フィレンツェ ■フランス王
 
★大航海時代の航海探検は航海者が企画を出資者に売り込んで実現したもの。スポンサーにももくろみがある。 
 
スペインやポルトガル人は進出先を領有するため、ヴェネツィア等は交易のため。
インカ帝国の滅亡は、スペイン人による掠奪によるものだから、もし、イタリア人が大航海時代をリードしていたならば、インカは滅亡しなかったかもしれない。
 
大航海時代の隠れた主役
 
パオロ・トスカネッリ
 
コロンブスに、インドへの近道は、アフリカに沿っての南下ではなく、大西洋を西へと横断する方法であると言った人物。
人生のほとんどをフィレンツェで過ごしたが、地理学、天文学、宇宙学の学者。
自然現象の観測と数学、幾何学によって、緯度と経度の概念を考えた。
ギリシア語とラテン語に非違で、古代の文献を自分の考えに取り入れた。
また、ハレーよりも前に、ハレー彗星を4度も観測した記録がある。
 
 
権威と権力
 
  • ヴェネツィアは、このバランスを巧みに取った。
  • 国家の代表者である元首(ドージェ)、その権威は国家の最高
  • しかし権力は元老院200票の中の1票でしかない。十人委員会では17票の中の1票
  • 権力が権威のもとに集まらないように工夫されていた
 
権威と権力が比例するのが帝政や君主性である
 
  • ヴェネツィアには「大金持ち(大富豪)」は現れなかったが「富豪」は大勢いた。
  • 貧富の差はいつもあったが、「層」として固定されておらず、敗者復活戦のシステムがあった。
  • 遺族年金のシステムも存在していた。
 
 
表現とは。天才の作品を理解するには
 

表現とは、自己満足ではない。
他者に伝えたいという強烈な想いが内包されているからこそ、力強い作品に結晶する。
 
芸術の解説書を読む必要などない。
作品を前にし、自分が「天才」になったつもりで「虚心平気」に彼らと向き合えば良い。
天才とは、こちらも天才になった気にならなければ、肉薄できない存在なのだ。
 
ダ・ヴィンチが書いたものには、「キミ」という呼びかけが使われていることが多い。
となれば、その「キミ」になって読まなければ、どうしてダ・ヴィンチを理解できようか。
 
 
塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」

2007年11月12日

テーマはひとつでは多すぎる。
ひとつでは、すべてを奪ってしまう。
 
ウィラ・キャザー(アメリカの女流作家)
「(恋人は)ひとりでは多すぎる、ひとりでは、すべてを奪ってしまう」
相手がひとりしかいないと、ほかの人が見えなくなって、すべての秩序を崩してしまう。

「テーマはひとつでは多すぎる。少なくとも2つか3つをもってスタートして欲しい」
   
「思考の整理学」P42
中国の古人、欧陽修(おうようしゅう)は文章を考えるのに良い3つの場所を「三上」と呼んだ。
 
  • 馬上
  • 枕上
  • 厠上
 
今で言えば、通勤電車の車内、就寝前の床の中、トイレの中。
 
「思考の整理学」p37
「見つめるナベは、煮えない」
 
英語には「Sleep over」という成句がある。一晩寝て考える。

朝の思考は発見に満ちている。
 
「思考の整理学」p32
倉庫内の整理は順序良く並べる整理。工場内の整理は邪魔なものを取り除く整理。

コンピューターにできないことをしなくてはならない。創造的人間である。
脳は、新しいものを作り出す工場でなければならない。倉庫なら入れたものを紛失しないようになっていれば良い。
工場にやたらなものがあっては、作業能率が悪い。よけいなものを処分して広々としたスペースをとる必要があるがすべてを捨てては作業にならない。整理が大切である。
 
「思考の整理学」p112から抜粋

2007年11月11日

多数決は、概して、つまらないものを生む
 
無難な住まいは、無難な人生しかくれない 

morimoto のCMより
 

Windows Live Writer から投稿してみた

Windows Live Writer から投稿してみた。

新しいツールは大好きだ。

2007年11月10日

完璧な飛行だった。しかし、完璧な行為というものは評価されない。完璧な行為はとどのつまりは当然のことに思われ、べつに勇気がなくても出来ることに見えてくる。カーティスの一機がまだ森の上を飛びまわり、有名なカーティス夫人が夫の身を案じているさなかに、おおかたの見物客は、もう彼のことを忘れていた。
 
カフカ「ブレシアの飛行機」
自由などほしくありません。出口さえあればいいのです。右であれ左であれ、どこに向けてであれですね、ただこれ一つを願いました。それが錯覚であろうともかまわない、要求がささやかならば錯覚もまたささやかなものであるはずです。どこかへ、どこかへ出ていく! 木箱の壁に押し付けられて、ひたすら膝をかかえているなど、まっぴらだ。
 
カフカ「ある学会報告」より(短編集「田舎医者」収録)
深い藍色の夜空と黄金色の星にさそわれた。何も知らずに空を見上げ、帽子を持ち上げて髪を撫でた。天空は動いても、次なる未来を教えはしない。
 
カフカ「兄弟殺し」より 短編集「田舎医者」収録

2007年11月4日

知の行為
 
知の行為者としての倫理、「反証可能性」
 
考察を導く軸
  • 主体と他者との問題
  • 認識から実践へのプロセス
  • 開かれたコミュニケーションと創造性
 
学問における普遍性
  • 誰にとってもそうである原理
  • そしてその論証
 
「反証可能性」 falsifiability
  • どのような知の言説も、再検討、反論反駁、更新できる可能性
  • 反証可能性が常に開かれていなければならない
 
普遍性とはあらかじめ存在はしない
到達し、獲得することが目指すべき地平
 
  
知の行為
 
普遍性の方へ自らの言語を開いていく仕方や、作法を身に付ける事が肝要
知識をどれだけ仕入れても、普遍性の方へ開かれた表現の手続きに結びついていなkれば知の行為とはならない
 
知の行為の主体となる訓練が必要
 
   
知の行為の主体
  • 普遍性の基準に見合った主体
  • 形式的、技術的に仮設され、借定され、それ故に学習される主体
 
学問的な言説、科学的な言語の習得によって、この主体に自身を置く方法を身に付ける
文科系の学問は、純粋な形式言語ではなく、自然言語の中に根付いている
 
普遍的な形式化が究極的に理論的か
——否、
「不確定性原理」ハイゼンベルク
「不完全性定理」ゲーデル を参照せよ
形式化による普遍性の限界

学問の行為は「ひと」と「ひと」との間の相互関係である
固有の文化的、歴史的な特異性を背負った不透明なもの
 
固有の主体性から出発し、自らの行為を普遍性の方へと開いていくプロセスに自覚的でなければならない
  • 自然科学を含む人間の文化的営みの在り方に根本的な問いを投げかける
  • 新しいプロセスを創造的に生み出す
  • 普遍性へ向かうプロセスは、本質的に想像的な多様性を許容する
 
 
「知の行為」とは
 

知りたいという好奇心を越え、一般化可能な問題が立ち現れた時、「人間とは何か」に収斂していく中で問題意識となり、知の行為がスタートする

問題構成の構造

a. 一般的な問い
自分は今、何を問おうとしているのか

b. 研究対象
材料は何か。対象の固有性、特異性と一般性をいかに結び付けるのか

c. 関連対象
何との関連から特異性、一般性を導き出すのか

d. 方法論
一般的な方向へ切り開いていく
 
学問の行為による記述は、一定の知的な共同体にとっての真理に過ぎない
決してそれが無前提的な唯一の真理ではない
 
自明か否か、
正当か否か、
 一定の文化の体系に因るものに過ぎず、絶対的な普遍性など主張できない
 
真理はそれを見なす主体との相関関係で捉える。主体の数だけ真理がある 
文化や時代を超越して他者と会い、真理について対話する 
 
interest
(利益、権利、関心、所有権)
  • それぞれの主体が持っている固有の力、社会を動かす力
  • 自身の interest に動機付けられた自己を他者の方へ開く事他者の interest との調停へ向かう事が重要
 
対話を導く原理
  • 公正
  • 創造性
 

2007年10月29日

知的労働者は少なくとも25%の時間を電子メールに費やしている。電子メールは労働時間の最大の項目である。

週4時間労働を達成するための重要な点の一つは、自分の仕事の進め方を回りに認知してもらうことである。私は受け取った電子メールに対して、以下の自動応答を返している。

親愛なる同僚のみなさん

電子メールをありがとうございます。著しい多忙と迫り来る締め切りのため、そして仕事の効率化のため、私は午前11時と午後4時にしか電子メールを読みません。それらの時間より前に私が応答する必要がある場合は、私の携帯電話に連絡してください。

また、戴いた電子メールが質問を含まず、伝達あるいは単なる表明である場合は、私は返信しません。どうか気を悪くなさらないようお願いします。

ご理解を感謝します。

ティム・フェリス

これを実行すると、人生ががらっと変わり、もっと早くからやらなかったことを悔やむだろう。

電子メールを読むのは1日2回である必要はないが、ある程度溜まってから読む必要はある。

最悪の習慣は、朝一番に電子メールを読むことである。種々雑多なことで頭が乱されてしまう。朝は重要なことに集中し、昼までに一仕事終えるべきだ。

電子メールは効率を重視したコミュニケーション手段であり、そっけないものである。人間関係の維持・向上のためには電話を使うほうがよい。

ドナルド・E・クヌース教授も、電子メールを捨てた有名人の一人。

 

「1 週間に 4 時間しか働かない人の仕事術」 [hatena.ne.jp]

「電子メールへの対応」の項。すべての人に適用できるわけではないにせよ、示唆に富む。


 

2007年9月18日

自分の属する組織が達成しようとしていること、およびその理由をはっきりと理解している人
——37%

チームや組織の目標達成に熱意をもっている人
——5人に1人

自分の目下の課題と、チームや組織の目標との間に明確な見通しを持てている人
——5人に1人
 
週末に振り返ってみて、自分が成し遂げた仕事に満足できる人
——5人に1人

主要な目標を達成する上で、組織が自分の能力をフルに発揮させてくれていると感じている人
——15%

強い信頼関係で結ばれた職場環境だと感じている人
——15%

異なる意見を尊重し、新しいよりよいアイデアを生むような開かれたコミュニケーションを組織が推賞していると感じている人
——17%
 
社員は組織において結果の責任を引き受けていると感じている人
——10%
 
組織を完全に信頼している人
——20%
 
組織内のほかのグループや部署との間に高い信頼性と高度な協力関係があると感じている人
——13%
 
「ハリスの世論調査」(xQサーベイによる)
 
 
サッカーでたとえれば、どちらが相手のゴールかわかっているのは11人中4人
勝負に関心があるのは2人
自分のポジションと役割がわかっているのは2人
11人中9人は、敵よりも自分のチームメイトに対抗意識を持っていることになる。
 
 
『第8の習慣』より


知的労働者の時代の中の中心的な課題を乗り越えるための答え。
 
第8の習慣は、
自分のボイス(内面の声)を発見し、それぞれ自分のボイスを発見できるよう人を奮起させるためある。


この新しい時代に求められることは何かといえば、それは偉大さである。
別の言い方をすれば、情熱を持って実行すること、課題を達成すること、そして大いなる貢献が求められている。


「第8の習慣」より
20世紀の企業の最も価値のある資産は生産設備だった。それが21世紀では、企業でもその他の組織でも、最も価値のある資産は知識労働者と彼らの生産性になるだろう。

ドラッカー

「第8の習慣」より
現代のマネジメントの手法の多くは産業時の時代の産物だ。(中略)
従業員は人件費という経費とみなされ、資産といえば機械だった。考えてみてほしい。人間は損益計算書に経費として記載されえる。一方、設備は賃借対照表に投資として記載されえるのだ。

「第8の習慣」より

2007年8月11日

 アメリカNRC (全米科学アカデミー) では、2000年に、2020年の製造業のあり方に関する調査報告書「Visionary Manufacturing Challenges for 2020」を発表した。同報告書では、「画期的な製品といえども4〜5年もあれば、他社に模倣される。優れた生産手法や開発体制も、競合企業が本気になっ て追いつこうとすれば、7〜8年で追いつかれる。最もキャッチアップがむずかしいのは、”人の能力や資質〃である」 ということが述べられている

http://kwenchanajo.ld.infoseek.co.jp/02-nare.html

2007年8月2日

大きな成果を出す人は、問題に集中しているのではなく、機会に集中している。


『7つの習慣』


20070305

正直、とは真実を語ること。言葉を現実に合わせること。

「誠実さ」とは現実を言葉に合わせること。約束を守り、期待に応えること。

その場にいない人に対して忠実になること、弁護すること。

その場にいない人との信頼関係を構築できる。

『7つの習慣』

20070311

弱き人ほど薄情である。やさしさは強き人にしか期待できない。レオ・ロスキン

謝るという行為は高潔な人格を必要とする行為である。

内的な安定性に欠けるにはできないことである。

弱い人は、自分が弱いものに見られ、他人がその弱みにつけこんでくるのではないかと恐れているからである。

そういう人の生活は、他人にどう思われるかに起因している。

自分の行動を正当化し、相手の間違いを自分の行動の言い訳に仕立てている。

『7つの習慣』

20070311

自制と自己のコントロールが、他人との充実した関係の土台になる。

『7つの習慣』

20070310

「デレゲーション」権限譲渡

他人に仕事を任せること。

人に仕事を任せる場合は「効果」を、自分で行う場合は「能率」を考える。

「コントロールを手放すこと」

『7つの習慣』

20070309

時間管理という言葉自体に誤りがある。

時間は管理できるものではない。

唯一管理できるのは、自分自身だけである。

『7つの習慣』

20070309

文章とは「使う言葉の選択である」 ユリウス・カエサル
使う言葉の選択を誤ったがゆえに起こる失言は政治に携わる人間には絶体にあってはならない愚行。
政治家には許されない。


『ローマ人の物語』

20070302
感情で嫌なこと、面倒なことを実行する習慣を身に付けること。
自らの嫌だと言う感情を目的意識の強さで服従させる。
これを可能にするのが高い率先力、主体性である。
それらが必要である。
ミッション、明確な方向性、価値観、「ノー」と言える大きな「イエス」が率先力を支える柱となる。
それらを自分の意志で行っているのだと自覚する「自由意思」。


『7つの習慣』


20070306

「主体性がある」とは

  • 自身の価値観に基づいて行動できること。
  • 質の高い仕事をこころがけ続け、実行すること。
  • 自分の行動の責任を自分でとること。
  • 環境や状況、条件に左右されないこと。

反対に、「主体性がない」とは、

  • 責任を放棄していること。
  • 物事に反応的にしか対応できないこと。
  • 周囲に振り回され、心理的にも不安定になる。

周囲に頼る、ということは、周囲に振り回される、ということだ。


『7つの習慣』


20070305
マネジメントは手段。どのような方法で結果を導き出すかが焦点である。
反対にリーダーシップは望む結果を定義している。
何を達成したいのか、への答えである。
 
マネジメントは、物事を正しく行うこと。
リーダーシップは、正しいことを行うこと。
 
リーダーシップは目的達成の道順を示すもの。
マネジメントは、道を効率良く進む方法。

『7つの習慣』


20070305


すべてのものは二度作られる。
一度目は知的な創造。明確なイメージが形作られ、設計図が引かれ、青焼きが作られる。
イメージの中の作業。
二度目は物的な創造。
実際に造られ、形を現す。
マテリアルは消費される。

『7つの習慣』


20070305


「率先力」とは、自分から進んで状況を改善する行動を起こせること。
酢大敵な問題解決を行うこと。

他の人の主体性を尊重し、責任を持たせ、任せる。
その人が自ら問題を解決できるように。


『7つの習慣』

20070305
自分の身に起こることによって人間は傷付くのではない。
自分がその状況を容認すると言う選択、によって傷を受けるのである。
心の底から「今の状況はこれまで私が行ってきた選択ので結果である」ということを正直に受け入れられることである。

『7つの習慣』


20070305